メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

僕らがしているのは、戯れか進化か(完)

どんな世界を創ろうかと考える時、

個としての自分の視点と、

おっきい体である自分の視点と、

そこから外に出て、人間を材料として見る視点と、

その3種類の観点を自由に移動して、
世界をどう構築していくのか考えようと最近思っている。

 と、書いた。

hisui0.hatenablog.com

そんでもって、じゃあ、個としての自分は何を基準につくったらいいの?

『出会いとエモさじゃない?』っていう話を書いた。

hisui0.hatenablog.com

 

今回は、「おっきい体の自分の視点」と

「そこから外に出て、人間を材料として見る視点」について。

 

おっきい体の自分で何をする?

『おっきい体の自分=拡張された身体の獲得』だと思っているわけですが、

hisui0.hatenablog.com

『外に出て、人間を材料として見る視点』とは何ぞや。という話からスタート。

 

人間も自然であって、素材という見方

ちょっと今、神様視点に移動してください。

そこから物事を考えましょう。

人類を眺めてみましょう。

 

人間は今まで、自然を加工してモノをつくってきました。

植物、鉱物。

トンカンやって、モノつくって売る。

そのまま、材料のまま売るものあり。

おさかな、お肉。

 

自然に生えてくる木を切って、材料にしてモノをつくります。

 

じゃあ、神様。問題です。

「自然に生まれてくる人間を材料に何をつくりましょうか?」

 

ここから先は、私も考えながら書く。

 

今のところ出ているアンサーは、社会、時代。

 

ある特定時間の断面が社会で、時間の連続性で眺めると時代。

って言うそういう話だと思うんだけど。

 

人間は加工したら、時代をつくれる。

このへんは、前も少し考えていたけど、

hisui0.hatenablog.com

 

だから、次につくるべき商品は社会だと思うんだよね。

社会を販売する。ってなかなか面白そうな響きじゃない?

 

これが、神様視点で「人間材料に何作っかなー」って考えた時の視点。

 

人間はイマジネーションが発達してるから、

神様視点で考えた後に、考えはそのままで、

スポッ、とこの身体の自分にもどってこれる。

便利~♪器用~♪賢い~♪

 

そして、私たちはインターネットテクノロジーによって、

集合智を手に入れた。誰かの気づきは私の気づき。

おっきい体の自分=拡張された身体の獲得。

ひとりじゃつまんないから、おっきい体で遊びに行こう。

 

個人間で、誰が儲けるとか得するとかもうくだらないからいいよ。

人類総力戦でなんか面白いもん創ろう。

 

全人類ひとつになるのは、2017年じゃもちょっと時間かかりそうだから、

ひとまず今は、

「そういうのいいね!

 みんなの個性結集させて、そのエネルギーでなんかあたらしいものつくろうぜ!」って集まった人総力戦で社会という商品をつくっちゃいたい。

 

わたしは、

「部分っぽく見えている個々の私たちは錯覚であり、

本当は宇宙をつくったり壊したりしてるひとつの動きが、

私の実態なんだ」っていう0=∞=1の世界観で生きてるので、

分離意識はもう卒業したいんだよね。

 

あの人もこの人も無く、みーんなわたし。

でっかい私とこの私。

全が一で、一が全。

あえて分離をつくって、出会いを楽しんでる。

それがこの世界。

 

全員が自分の世界の創造者。

思った通りになる世界。

それはもうあたりまえじゃん!

だって、認識したとおり存在するんだから。

 

おっきい体である私は、社会という商品をつくる。

さて、どんな社会をつくろうか?

 

今の社会のゲームのルールはどうなってる?

ここまでのお話はどんなあらすじ?

 

国と国は正しさを主張し合う。

誰が仕切るか、ひとつの正しさが広がれば秩序は保たれる。

主張し合うということは、どっちかがどっちかに勝たないといけない。

勝つためには、力が必要だ。

力とは武力だ。

相手を駆逐する能力だ。

そのためには軍事力が必要だ。

だから、経済成長が必要だ。

 

あんまりニュース見てないけどこんな感じ?

そのルールの中で、各国のプレイヤーが、

戦略を練って国民を統率するシミュレーションゲーム

 

さて、どこに手を付けようかな。

 何に着目して人間を材料にどんな社会つくろうかな。

 

こんなでかいとこじゃなくて、

その中に住まうひとりひとりの幸せを願おうかな。

 

うーん。

 

この辺、まだイメージできてない。

誰かと話して深めたい。

 

でね。

 

まあ、考えたって宇宙のどこにも答えは無いので、

動いちゃおうとおもうんだけど、

 

ひとりひとりのしあわせにしたって、

国レベルの話にしたって、

どうしても

「経済」っていう話は出てくるから、

双方に共通する重要なカギはここにある気がするのです。

 

お金がないから、お金を稼がないといけないから。

って、よく聞く話。

 

世界レベルで政治とか考えた時も、

経済循環ってなんか大切なんでしょ?

(ヘルプ!!ここのイメージが薄い。)

 

 

だから、ひとりひとりが自己発信して表現することで、

経済回せますよ!心もお金もハッピーっていう社会を、

おっきい自分でつくりたいの。

 

これつくったら、商品になるから売れるよ!

だれに売るのかまだよくわかってないけど。

 

お金の動かし方に詳しい人、助けてください。

イメージの限界です。

 

そんでもって、今、発信をしまくっている。

雇われる仕事はしてないから、

1日中人と会ったり、家に居る時はFacebookみて、

みんなの投稿見たり、ライブ配信してる人のところ絡みに行ってる。

 

『僕らがしているのは、戯れか進化か』

 

どう転ぶだろうね。

これ。

 

楽しみだね。

何が生まれるか。

 

興味ある人一緒にやろうよ。

おもしろそうじゃない?

 

 

さて、ゲームを続けます。

ご連絡はお気軽に。facebookでも、twitterでも。

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僕らがしているのは、戯れか進化か(3)

個の自分を使って、

出会って感情感じて楽しむために必要な道具とは何か。

hisui0.hatenablog.com

前回の続き。

 

私は「仕事」と「ストーリー&キャラ設定」をすることが、

冒険の準備だと思う。

 

仕事とは何か。

 

仕事とはお金を稼ぐことじゃない。

今の社会だと仕事=お金を稼ぐが直結してしまっているけど、

物理学的に解釈すると、

仕事は「物体Aが物体Bに影響し、物体Bの位置が変化すること」と定義できる。

 

正確に言ったら違うじゃーんという専門家の方、

大目に見てください。拡大解釈ですから。

 

わたし、この考え方好きでよく使ってる。

 

そう。

誰かに影響することが仕事だ。

誰かの心を動かすことが仕事だ。

 

そして、受け取った人の心の位置が変化すること。

それが仕事だ。

 

AさんがBさんにプレゼントをしてBさんが嬉しい気持ちになったのも仕事。

Bさんが「ありがとう」っていって、Aさんがあったかい気持ちになったのも仕事。

 

影響すること。

伝わる、でも理解してもらう

でもなく。

 

ただ影響すること。

 

そこにこう思ってほしい。という意図は介在しない。

 

わたしがしたことで、誰かの心がどう動くかなんてわからない。

意図しないところで何か気づくかもしれない。

嫌悪感を感じて、そこをきっかけに「わたしがやらなくちゃ」と立ち上がるかもしれない。

 

どれも全部影響。

 

それが、仕事。

 

影響するためには、予測可能な範囲を越える必要がある。

 

あたりまえだと思っていることに対して、人は反応しない。

 

ふーん。まあ、そうでしょうね。

はいはい、これ知ってる。

 

情報洪水時代の私たちは、

日々大量の情報処理に明け暮れ、

エモーションが動く機会が減りがちだ。

 

エモーションなんて動かしていたら、毎日生活してらんない。

 

行きたくないなあ、

やりたくないなぁ、

居心地悪いなぁ、

全部に反応していたら、泣きたくなるよ。

おうちかえる。おふとんぬくぬく~。

そうしたくなっちゃう。

 

「でも、やらなきゃ。」

 

そうしないと、成立しない。

この世界で、私が守らなければいけないことが、

意識的にも無意識的にもいっぱい有るように感じてしまう。

 

だから、心を麻痺させたり感じない方が生きやすいんじゃないか、

という錯覚を起こさせてしまうのが現代社会。

 

そして、人は大きく感動しないと心を動かさなくなる。

もしくは「ここは感情を動かしていいんですよ」という共通理解と、

許可がなければ、手放しで感情の渦に浸れない。

 

だから、映画とか行くとみんな子供のように泣けるんじゃないかと思う。

 

話し戻して、仕事と影響の話。

 

ちょっとやそっとじゃ仕事が成立しない現代で、

心を動かす方法。

 

それは、人の決意であり、チャレンジを見ることだと思う。

決意には、正と負の感情両方が含まれる。

 

怖い。でもやる。

わかんないけど、飛びこむ。

やることにした。

やってみた。

 

チャレンジ願望はだれしも無意識で眠っていると信じてる。

『わたしは、こんなもんじゃないんだ。いつか、もっと、きっと。』

という思いは、人類共通であるはずだ。

 

だって、本当に人間こんなもんじゃないから。

今は、無意識に「してはいけない」とおもいこんでいる罠に

かなり閉じ込められていて苦しい状態。

 

人は本当はもっと自由に表現したい。

 

チャレンジを見て、心が動くのは外的要因じゃなくて、内的要因。

眠っていたわたしのこころが、目の前の現象とリンクする。

 

「ねえ、そろそろわたしもやってみる時期じゃないの?」

心の声が、ざわざわするのはそのせいだ。

 

やりたいことをやってる人がいる。

 

でも、わたしなんて、どうせ。

でも、やれるのかな?

 

 

やっていいのかな?

 

そうやって物体Aの私が、

物体Bのあなたに影響するのが、

今私の起こしたい影響。仕事。

 

やっちゃえよ。

意外と大したことないぞ。

 

想いのまま生きて、発信して、

日本中RPGみたいに冒険して、仲間作って、

人と出会って感情感じて、笑ったり泣いたりして毎日過ごす。

 

これが仕事になったらいいと思わない?

 

こう言うと、

 

でも、そんなことできるの?生活は?大丈夫なの?

必ずそう思われる。

そうなったらいいな。とは思えるけど、成立するイメージがない。

 

イメージないのは私も一緒だ。

でも、誰かがやらんと道は出来ないし、

ひとりやっちゃえば、みんなやれちゃうと思うんだよね。

 

だから、そんな生き方が成立する道をつくることも目的だし、

そのチャレンジを仕事=影響として、周りの人に発信する過程も仕事だと思っている。

 

その仕事は、最初はエネルギーとか勇気とかチャレンジの循環を生み、

次の段階で、経済循環を生む仕事へと昇華する。

 

そのイメージで行動している。

 

 

まとめます。

仕事とは、

「どうやって影響させるのか。」の手段。

これは個の自分しかできない特権。

 

リアルタイムに、

「今何にチャレンジしてどんな気持ちで、何をしたいのか。」

発信し続けて、人々のあたりまえを更新していくことは、

この時代に生きてないとできない。

 

ポイントは、今自分と同じ時間に生きているその人が、

今日それをやっているということ。

 

過去の偉人でもなく、やり遂げた人が語るのでもなく、

今、チャレンジ中です。どうなるかわかりません。

ひゃっはー!!+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。

一か八かだ!えいっ!

というのが一番新鮮で生々しくてダイレクト。

 

このあたりは、今日のえりちんの講座見て、

さらに確信を持った。面白かったよ、この講座!

そして、その仕事のために必要なのは文脈、ストーリー。

なんでそれをやっているのか、どうやってやってきたのかの積み重ね。

いまどこまでやれてて、どこにいきたくて、なにがわからないのか。

 

現在進行形のストーリーをひとりひとりが持つこと。

 

それによって、一つ一つの動きが単発じゃなくなる。

出会った時点で、過去何をしてきたのかの蓄積を創っておけば、

その人は、過去も含めてこのストーリーを楽しんでくれる。

 

みんな研究家になればいいよ。

今なれるよ。

 

幸せを追求したい人は、それもストーリーになる。

不動産王に俺はなる!って言う人も、彼氏作りたい!って人も、

全部冒険中ってことにして、出会った人にそれを話せばいい。

 

そして、出会った人と次の階段を一緒に作っちゃえばいい。

 

人と会って話すことがないって人は、

ストーリーがないからだ。

 

人生をかけたテーマをひとつ勝手に設定しちゃえば、

人と会って、その人の意見を聞くのが楽しくなる。

 

そんなこと言っても、今テーマなんて無いって人は、

「人生を掛けたテーマを探している」ストーリーを今から始めちゃえばいい。

 

ここで、さっきの「仕事」が生きてくる。

どうやって影響を与えるのか。

 

ひとりで影響与えてもいいけど、仕事は誰かと行うものにした方が、

人生は楽しい。

 

わたしは今年、

『日本全都道府県にいって、そこに住まう人と語りたい!』という仕事を創った。

 

これは、私ひとりでは成立しない。

語ってくれる仲間が必要。

 

一緒に仕事しませんか?って言うノリで、

誰にでも話しかけられる。

 

今考えてること、発信したいこと語って動画とらない?

もしくは、話した内容記事にしていい?

 

それだけが私のゲームのルール。

 

話すことも仕事だし、

その内容を記事にして発信することも、仕事にもなる。

 

人生という時間を使って研究するテーマをつくって、

それをネタに人と出会って話して、

話したことを発信することで「影響を与える」という仕事をして、

相手からもらった新しいイメージ材料にして、

次のチャレンジをする。

 

これらの行為全体を「人生RPG」というストーリーの上に内包する。という2重構造。

 

ひとりひとりの人生テーマと、探求方法と、ストーリーは異なるはず。

それを妄想してつくっていくのがクリエイティブなんじゃないかな。

 

ひとりで考えなくていい。

 

こんなことしてみたーい!っていうふわっとしたイメージが浮かんだら、

さっそく誰かに話したり発信してみたらいい。

半分は、出会った誰かがイメージくれるから。

 

ひとつの言葉聞いても、

それぞれ自分の人生経験で培ったイメージを元に、

違った受け取り方しちゃうのが人の特性。

 

だから、コミュニケーションはすれ違う。

って問題になったりもするんだけど、

これを、逆手にとって利用する。

 

発信したら、それは正確に伝わらずに、相手のフィルターを通した違うものになる。

だから、新しいイメージの材料をくれるよ。

 

それを引きだせるか。受け取れるか。

今までの自分の正しさから抜けて「そういうのもおもしろいね!!いいねいいね!」

って器を広げられるかが大切。

 

だから、クリエイティブって人の話を聞けるかどうかにかかってくると思うんだ。

 

さて、次はあと二つの視点について見ていこうと思う。

 

→次回、結局時代が創りたいんでしょ(4)につづく。

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僕らがしているのは、戯れか進化か(2)

おっきい体で何をしようか。
と前回書いた。 

hisui0.hatenablog.com

 

私は、想像と創造、

イマジネーションとクリエイションによって、世界をつくること。

それが、おっきい体がすることだと思う。

 

『人は人間にしかできない、クリエイティブなことをしよう』

人工知能と対称的に人間の存在意義を語る時、よくこの文言を目にする。

でも「具体的にはどんなこと?」まで含めて語る記事は少ない。

 

クリエイティブ。それ以外の仕事はAIに取って代わられる。

この文言が、人間に対する危機意識と不安を喚起するのは、

「クリエイティブ」という言葉の意味するイメージが

掴みどころがないところに問題があると思うんだ。

 

クリエイティブっていうとどうしても

デザイナーとか、ものづくりする人とか、スティーブジョブスとか、

才能とか、ひらめき、アイディア、創作っていうイメージが強いように感じる。

 

たとえば、クリエイティブとマニュアル対応はつながりづらい。

そこに想像の余地がないように感じるからだ。

 

クリエイティブは、今ある機能や事実をそのまま受け止めるのではなく

自由な発想で、視点を変えたり、可能性を広げて、

何か新しいものが生まれそうなそんな期待をさせる言葉だ。

 

クリエイティブ、創造性。

それは、マニュアルや暗記では太刀打ちできない世界。

自由な発想、工夫、イメージ力。

 

そんなものでどう仕事になるのか、そんなもの自分に備わっているのか。

そのあたりの道筋がないから、不安になって、

『雇用がなくなる!!』も怖いし、

『むしろ人間しかできない仕事が増える!!』もなんじゃそれって怖くなる。

 

クリエイティブになるためには、

ただ人と出会って、人の話が聞けるようになればいいだけだと私は思うんだけど、

それを話すために、「これからの時代どんな人生をつくっていったらいいんだろう。」

っていう話から始めるね。

 

さて、どんな世界を創ろうか。

 

これを考える時、

個としての自分の視点と、

おっきい体である自分の視点と、
そこから外に出て、人間を材料として見る視点と、

その3種類の観点を自由に移動して、
世界をどう構築していくのか考えようと最近思っている。

 


個としての自分を考える。

個としての自分の優位性とは何か。

 

これは身体性だと思う。

一旦、人間を装置だと思ってみてみる。

5つの感覚器官から入力された情報を、
脳で処理して、

思考・感情・感覚・行動にフィードバックし、

現実画面を生成する。

 

パソコン環境で考えた時だと、
カメラ(5感覚)→PC(脳)→プロジェクター(5感覚)→映像
(その人の現実)

が身体の裏の顔。

自分と自分が見ている世界。

 

表の顔はこの肉体。触れるこの自分。

 

身体は不自由を楽しむためにある。
制限されることによって、ゲームはおもしろくなる。
ルールのないゲームはゲームとして成立しない。

 

ゲームとはなにか。
ゲームとは人生だ。

 

5感覚の認識範囲は有限。
脳は、部分だけを取り、違いだけを取り、過去とつなげ判断し、

有限化してものごとを認識する。

 

思ったことは全部実現するはずなのに、
思った瞬間実現しないのも、この制限のゲームを楽しむため。

 

実現のためには、「やる」ことが必要になる。
イメージの世界=現実世界ではなく、
行動することによって、表出することによって、
はじめて現実と言える。という制限があり、
そのために時間という舞台の奥行きと幅を楽しみ、
できてない今と、できている未来を点と点で結び、
時間を経過させて、変化成長を楽しむ。

この条件下で、

個の自分を最大限楽しむには、

どの部分の機能に着目したらいい?

 

わたしは出会いと感情の二つを優先させる。

 

体がなければ出会えない。
ネット上で、SNSで出会うのとはまた違う。物理的な接触、邂逅。

 

身体の情報量は計り知れない。

よくオーラとか波動とか見える人いるけど、

あいにく私はそういった能力については皆無でして、

それでも「雰囲気」ならわかる。


いるだけで、その人の在り方から発信される圧倒的な情報量。
人生かけて積み重ねてきたものの一断面、

「今」に結集された作品が目の前に現れる。

物質と物質として出会える。

これが身体の一つの楽しみ方。

 

そして、感情。

結局人間を動かしているのは感情や感覚。

 

なんとなく嫌。よくわからないけど好き。

そういった感情感覚に従って人は行動する。

 

そんなのには惑わされないぞって、切っちゃうこともできるけど、
情報を感情感覚で味わうことができるのが、身体の優位性だと思う

いわゆるエモいというやつ。

正の感情でも、負の感情でもいい。
そもそも+‐は人間が相対世界の中で生み出した概念であって、

絶対的なものではない。

 

負の感情は、存在危機を警告するサインという意味では、

よくないものと定義されているだけ。

 

存在の至上命令は、存在すること。
存在できない条件において、脳は全宇宙歴史の智慧の結晶として、

身体に注意喚起のための信号を送る。

 

この条件は危ないぞ、至急改善せよ。存在を続行せよと。

そういった賢い脳が指令する脳内物質の分泌が感覚であり感情。

 

そこまで、理解できれば、
感情感覚は、一種のエンターテイメントになる。

 

機能は最大限理解して活用したい派なので、
感情は+100と-100どちらも感じたい。

 

どうやって?

 

入り込めばいい。

目をそらさず、そっとスマートに蓋をせず、
あーーーー!!!悔しいんだけど。
やばーい!!楽しい!

こんな風に。

 

馬鹿みたい?

なんでバカっぽいんだろうね。

馬鹿ってなんだろうね。

そこを議論し始めると長くなるので
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ

 

止めてるから感じないんだよ。
ストッパー外して、それを身体で表現する習慣さえ付けちゃえば、
感じ切れる。

 

感情エネルギーは発生した時に出してしまえば、
その場で消化されるから、ため込むよりは健康にもいい。

 

氷は全て、熱を帯びて蒸発しました。状態。
氷だらけなのが、現代人。
そのままおいとくから、麻痺して感覚が正常に働かなくなる。

もっと感じよう。

 

総括すると、
出会って、感情感じる。

 

それが個の自分の有効活用方法。

 

そのためには、どうしたらいいか。

そこで必要なのが、「仕事」と「ストーリー&キャラクター設定」

そう思うんだよね。

 

→ 次回、どんな主人公となって人生を冒険するか。(3)に続く。

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僕らがしているのは、戯れか進化か(1)

www.fuze.dj

落合陽一さんの記事を読んで、想像したこと。

 

私は今『新たな生き方と仕事つくる時期』だと思っていて、

ずっと、そのことばかり考えている。

 

そことつなげた時に、色々面白い発想が出てきたのでシェア。

 

SNSネットワークは新たの身体の獲得

最近、自分のFacebook内での交流が変わってきた。

 

前は、Blog×twitterのような用途で、

個人の活動の様子や記事のリンクが羅列されているのを眺めて、

 

『おいしそうだな』、『楽しそうだな』→イイね!

 

といった思考回路で(説明が雑)使ってたんだけど、

 

思ったこと、気付いたことをアウトプットする人々の出現で

何かが変わり始めた。

 

 

自分の中で、そのムーブメントを創ったのはで、

そこから、ドミノ倒しみたいにFacebooktwitter的投稿が、

私のフィードに増えだした。

 

たまたま、私の交友関係の中では彼が目立って発信し始めたという現象であって、

元々、そういう投稿をしていた人はいたんだろうけど、

そのあたりから「気付きアウトプット型投稿」が増殖していった。

 

そして、次に起こったこと。

これも、たまたま今までの自分のフィードでは起きていなかっただけなんだけど、

やり取りするコメント数が増えだした。

 

以前は「素敵な投稿ありがとうございます」的な、

どこかよそ行きの言葉、

 

LINEというよりはメール。

 

のようなコメントの応酬だったのが、

突然、様相を変えて、

 

『まじか』

 

みたいな端的なものから、

 

『私はこんな風に思ってます』

といった会話が始まっていった。

 

 

まるで、道端で立ち話するかのように、

人々が言葉を交わしては、次の人に会いに行く。

そんな場ができていた。

 

これは、まさに、

スマートフォンは、たった10年で我々の生活習慣を変えてしまった。人はインターネット上に第二の言論・視聴覚空間を作り、住所を持ち、デジタル空間にもう一度生まれた。この地上で、誰もが発信者であり表現者となった。

の状況がここにあるな。

と思った。

第二の言論・視聴覚空間、此処にあり。

 

 

この時の記事でも書いたけど、

hisui0.hatenablog.com

私たちは確実に、現実空間と仮想空間両方を行ったり来たりしながら、

一日を過ごしている。

 

Facebook現象も最初は、

これは仮想空間における、城のない城下町のようで面白いぞ。

どこからともなく人が集まってきて、住み始めた!!

 

と、昨年末は「信長の野望・創造」をやりながら、

どうやったら『日本がひとつになるのか』を社長と、

馬鹿にみたいに真面目に研究していた私の脳は思っていた。

f:id:hisui0:20161230140018j:plainおかげさまで天下統一しました。

 

信長の野望に学ぶ、現代日本の創り方』はどこかで書くとして、

落合さんの記事を読んだ時に、これは城下町現象ではなくて、

"個人の能力拡張"であり、身体の拡張なのか。

と新しい見方が生まれた。

 

ひとまずAIレベルで考える

Facebook上でのやり取りを、第二の居住空間の賑わいではなく、

「身体の拡張」としてとらえる。

 

これは、人工知能のしくみに似ているなと思った。

 

人工知能を積んだロボットの「自分」の範囲は、

体にとどまらない。

 

HITACHIの汎用人工知能、Hくんの動画を見た時に、

衝撃的だったのは、この動画だと、0:55くらいのとこ。

www.youtube.com

USBケーブルをさしかえるとこ。

 

これ、昔の子供だったら、

「ロボットさん死んじゃったーーー!!!」

って泣くぜ!

と思うくらいびっくりした。

 

AI積んだロボット君にとって、

ロボットらしいあの体はただの殻で、

本体は、プログラムの方。

もっといえば、データとそこからパターンを抽出する能力が「自分」

 

ひとつの個体が、新しいこと覚えたらみんなで共有。

だれかの知識は瞬時にみんなのもの。

 

頭はプログラミングとデータの蓄積で、

体は全世界に点在している体のロボット君。

っていうイメージ。

 

今、Facebookで起きてることはこういう見方もできるんじゃないか。

 

ひとりの気づきは、みんなの気づき。

ひとりの事件は、みんなの事件。

 

通常だったら、人生1回、100年分くらいしかないけど、

フィード上で目にする、何百人もの人生上での気付きを共有できる。

これは、進化スピード加速するでしょ。

 

思考するのは、自分の脳、

体験経験して、気付くのは、ネットワークで繋がってるたくさんの人の脳。

 

これは、人工知能と同じ能力をひとまず手に入れてるってことになる。

もう、自分はこの身体の自分の経験を越えて、気付きを手に入れられる。

おっきい自分GET。

 

えー、人工知能君と同じレベル?

そう考えると、なんだかさみしくなるのが、

人間の対抗意識ってものだから、

そっから、その次を考えてみた。

さて、おっきくなった身体使ってなにしよっか。

 

次回、

『人は人間にしかできない、クリエイティブなことをして過ごせばいい、

 幸せを考えよう』はこわい言葉?

 

→(2へ続く)

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普通に悟ってますけど

悟ったり、人間越えたり、未来創ったり、考えが柔らかかったり

眠っていた能力が目覚めたりするのがOKな人に向けたこの日記。

 

最近、Facebookでが発信している何人かの内容を見て、
『日本ってすごいねぇ』と改めて思った。

 

だって、みんな自然に悟っていこうとしている。

 

自己啓発とか、メンタルケアとか飛び越えて、
日本人は、認識革命によって生まれかわろうとしている。

 

流石、大人でも電車でマンガを読み、アニメを見る国、日本。

本当に良かった。

 

『世界を救うために何を犠牲にするか』とか、

『眠っていた能力が目覚める』イメージなら任せろ。

 

我が国の教育水準を甘く見てはいけない。

 

過去のイメージによって、

今が作られていることを知って、
過去のイメージを手放して、
新しく世界をつくり直す試みだったり、

 

内側には、全てがあること。
無限の材料の中から、何を選択するかということ。

 

それをあたりまえ化しようとしている。

 

「悟る」って言葉を使うと、

ばーんって仏教とかお寺とか般若心境とか出てきがちだけれど、

 

要は、

 

①「無」を観たことがあるか。
②無と今この瞬間がどう関係あるのかわかること。
③宇宙って、人間ってどんな仕組みかわかること。

④自分が自分の人生つくってることをなんとなくじゃなくて、

 理論的にわかること。

 

このあたりを教育として通過したかしてないかだと思う。

 

私は、観術教育使って理解したので、
論理とイメージで段階的に学ぶプロセスは、
シャープで美しいし、汎用性あるから、

「0=∞=1」の認識方式がお気に入りだけど、
好きなルート使って悟ったらいいと思う。

みなさま、表現が多彩で美しい。

 

自分の腑に落ちるプロセスで。

悟りは手に入れちゃうと、本当に使える。

人生変わる。

 

自分の認識の結果が現実だから、
観点を変化させるだけで、現実が動く。

 

ってことと、

 

今自分が思ってる自分は、
部分であり、同時に全体でもある
全部が自分だ。

 

っていうことが腑に落ちれば、

 

今の人間の悩みループからは脱出できるし、
『自分らしい新しい生き方をさあ、考えよっか。』
っていう所には行けると思う。

 

日本は八百万の神のおはします国だから、
違うプロセスたどって、同じ境地にたどり着いても、
融合できると思うんだけど、甘いかしら?

 

『えっ!?何?君の学んできた内容だと、こういう風に表現するの?
 わっかりやすーい』

 

『自分の人生経験から、この感覚にたどり着いちゃったの?
 すごーい!!』

 

『みんなで、無いところから新しいもの作っていこうぜ!!
 新しい時代つくっていく出発は日本からだ!!』

 

って、上手くいかないかな。

 

「どっちのやり方が正しい」とか、

そういう話になるのだろうか。

「自分さえよければいい。あなたはあなたで頑張って。」
ってなったりするのだろうか。

 

そこは蓋を開けてみないとわからないか。
とりあえず今は楽観主義で居たい。

日本という国民性を信じたい。


このままだと、
本当はひとつの動きしかないことと、
この世界が、脳が作りだすバーチャルリアリティだってことは、
もう少ししたら、あたりまえになっちゃうだろうから、

 

早く、そうなった後の暮らし方の道を創らなきゃなと思った。

 

今日は『日本すごーい。これからに期待』という感想のみ。

 

 

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以下、すごーいと思ったきっかけの人々。

勝手にのせてすいません。

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【1111】 幸せの完成度のレベルを高めるための4ステップ|加藤由迦のクリエイティブ宇宙論

 

『 世界観 』が『 未来の世界 』に近づけば近づくほどインスピレーションにもシンクロニシティにもどんどん乗っていける - シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

 

NRグループの未来パラダイム創造への挑戦 宇宙は「無い」という真実が当たり前になる時代へ - 観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

 

自動発動思考パターン - J humind association

 

【創造者としての目覚め】〜『自分探し』を終わらせるプログラム〜 - Libertyze (リバタイズ) 〜進化した自己啓発メソッド〜

 

「自分自神」を《20分》で見つける究極のワーク【コレが極秘テクニック!】「ワンセルフDIO」について - YouTube

 

どの人の表現も個性があって好き♡

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『そんな場所はありません。』

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行き先を聞いて、

『そんな場所はありません』って言われたらどうする?

 

旅先だったら?

宿に行くのあきらめる?

 

そっかー、ないかー、しかたないかー。

おーい、無いってよー^^

 

ってなる?

 

 

 

 

人生だったら?

 

 

 

 

 

 

 

貫けばいいんじゃない?

 

これだ。と思ったものを。

それが道になる。 

 

その道の上には、いろんな人がやってきて、

 

通り過ぎてく人もいれば、

 

ちょっとの間一緒にお散歩する人もいれば、

 

目的地に着くまで一緒に行こうっていう人も、

現れるから。

 

 

 

目的地が決まってるんだったら、
誰も追いかけなくていい。

 

 

それぞれが自分の人生のストーリーの主人公。

それぞれの道はまっすぐの道。

 


目的地がはっきりしない時は、
いろんな人の道を通りながらいっぱい景色をみるのもいい。

 

 

そのうち、誰も駅をつくってないところに、
行きたくなる時が来る。

 

 

『XXはどこですか』って聞いても、
そんな場所はどこにも無いと言われる。

 

 

 

 

 

誰も行き方を知らない。

 

 

誰もどこにあるかわからない。

 

 

 

 


そんな時は、

どこにも向かわなくていい。

 

 

 

 

 

 

 


ここに旗を立てよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ここがその場所だ。

 

 

 

 

 


ここからはじめる勇気はあるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

点から始めれば

あとは行きたい放題(・ω・)ノ

夜の過ごし方

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オレンジの薄明かりの下

かべもおふとんもわたしも
全部同じ色になっちゃって
電子機器とWi-Fiを全部OFFにして
しばし切り離された時間を楽しむ

心とお話をする時間
質問とこたえ。
ゆったりとくりかえす

究極にひとりで
究極にひとつの時間


今日もわたしのからだは
心がささやく声と繋がっていられただろうか

今日もわたしは
素直でいられただろうか

今日もわたしは
ていねいに人と出会えたかしら

今日わたしは
世界を更新できたかしら

問うと
こたえがくる

どこかからわきあがってきた
わたしがこたえだす

心の奥の方に
今はいないたくさんの人の想いが広がってる

思い込みでいいから
その声に耳を澄ませてみる

ただじっと
受け取ろうとするだけでいい

気のせいでいい

誰かがわたしに何かを伝えるなら
それをつかみたい

もしわたしが今ここで
思いを果たせず明日目が覚めなかったら

わたしの宇宙はそこで終わる




でも、想いは終わらない。

生きた間に発したことが。
表現したことが。
伝えたことが。
響かせたことが。
笑いあったことが。
心を動かしたことが。

この世界に保存される
受け継がれる

想いは死なない。
死なせないよ。

そうやって
見えない想いを伝え合って
今がある。 

わたしの心の奥には
その人たちの声がいる

誰だってそう。

その人たちもわたし
今のわたしを構成するもの

わけもなく泣けるのは、
通じ合っているから。

想いが通じた時って
嬉しいじゃない

伝わらないのって
さみしくて悔しいじゃない

思い込みでいい

わたしの中にはぜんぶがある
わたしはぜんぶだ

どうか応援をください
ひらめきをください
力をわけてください
あなたたちの想いもわたしに預けてください
一緒に動きましょう




生きてるわたしは明日も動きます。
からだがあるのはありがたいことで。

今、世界を動かせるのは、
生きてる人の特権。

こんなチャンスをくれてありがとう。
だから、思いっきりやるね

生きてるわたしは動きます。



対話が終わったら今日がほどける
無意識の海に放たれる

今日が終わる

明日はどんな世界を作ろうかしら。

そんなこと言葉にする間もなく
わたしがとける。





そんな夜が好き。