メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

いますごいとこにいる

うまくいえないんだけどさ、

 

マジでお別れっぽいんだわ。

 

 

だって、もう、

 

ちがうんだもん。

 

回路が。

 

 

毎日というメディアと接するあれやこれやが。

 

 

いつもこうなるんだよね。

 

 

あ、今、誰にも分かってもらえないとこまで登っちゃった。

 

あれ、伝わらないな。

あ、わからないのか。どうしようかな

 

ってちょっとだけ、

孤独を楽しむ時間。

 

でも、だんだんその期間は短くなってるよ。

 

 

昔はずっと思ってたからね。

 

 

「わかんないだろう」って。

 

 

わかんないだろうと思って伝えていたら、

そりゃわかんないよね。

 

 

だから、

わかってもらえない期間が短くなってきた=

わかってもらえないと勝手に思い込みやがる期間が短くなってきたってことだ。

 

 

もうすこししたら、みんなの大好きなあれを、

完全に手放しちゃうんだろうなっていう、

このうだうだをちょっと楽しんでる。

 

 

すこしずつ変わっていくのがわかる。

感覚/感触/反応。

 

 

馬鹿も極めちゃうともう本領発揮って感じで、

一人でほくそ笑みたくなるよ。

 

 

ついにおかしくなっちゃったかもね。

とっくのとうにおかしいのだけれど。

 

 

おかしいもおかしくないもないのだけど。

 

 

 

生まれた時から違和感あるんだ。

それは、認めてもいいんだと思う。

だから、やっとあたりまえになってきた。

 

 

榊みや子なんていないってことしっかりわかったし、

榊みや子楽しむんだってこともわかったし。

 

 

境地なんて大層な言葉じゃ語れない、

この感覚。

 

 

マジで世界変わるんだな。

 

 

さよなら、今まで。

頑張ってきたよ。

ほんと。

 

 

 

思ったまま流れ出す世界こんにちは。

さて、何を願おうか。

capitulo30 今何をしたいのか(2)〜動機善なりや 私心なかりしか

前回の続き。


個が立つ和の共同体社会とはなにか

概要は以下の通り。

個が立つ和の共同体とは、集団、環境、共同体、社会のあり方。

 

和心を共通認識とし、お互いに言いたいことが言い合える安心の場で、自分と相手を深く理解・共有し、繋がることのできる受け入れ上手関係性を基盤とする。

 

縛られずに何でも選べる自由な発想を場に出しながら、一人で頑張ることに限界があることを知り、自分が出来ることと出来ないことを認識し、多様性を認めることで、ひとりひとりの個が立ち、出来ないことを認めたうえで人にお願いする。

 

そうすることで仕事(プロジェクト)が生まれ個の集合で各々の特性を発揮し、様々な問題解決や新たなる価値の創造をし、関係性や共有する知識経験によって、出来ることが増えていくことで、更なる心と発想のイノベーションが生まれていく。

 

人との繋がりを持ちながら、好きなことをやって生計を立てて、心の循環=新しい場を構築し、自分の人生を更新し続けていく。

 

一言で言うと「分離を減らして、お互い様のやさしい社会をつくる」というコンセプト。

 

和心=みんな自分、ぜんぶひとつのあり方から発生する関係性に重きを置き、「ひとりじゃないよ」をベースとして生み出される安心・安定・安全を土台とする。

 

 一人一人が生活の中で感情・心の変化を楽しみ、お互いに個性を生かし合うコミュニケーションをとる中で、人生を更新し好きなことをして経済循環を起こしていく社会の形。

 

参考: 内容詳細成立方法はこちらで記述。

 

なぜこれをつくろうとしているのか

 

個が立つ和の共同体は2名では成立した。

 

成立にあたって、私の生き方・ライフスタイル、コミュニケーションは劇的に変化した。

これまで生きてきたの30年間で生きていた感覚、あたりまえだと思っていた世界は様がわりし、物事の捉え方、味わい方すら更新され、おかげさまで今は好きなことをして自分の人生をデザインしながら心地よく生きている。

 

だけど、2名では共同体と呼ぶには説得力に欠ける。

 

なぜ、今は好きなことをして自分の人生をデザインしながら心地よく生きているのに、

個が立つ和の共同体モデルを作ろうとしているのか。

 

それを語るには、行動原理のさらに手前の層、

体のデバイスを活用したい

歴史・人の意思を存在させたい

旧人類の認識方式以外で生きたい

人生ゲームしたい(能動的に生きたい)

 

まで語る必要がある。

 

お付き合いいただけますか?

 

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capitulo29 今何をしたいのか(1)〜動機善なりや 私心なかりしか

前回の続き。

 

個人の軸から導き出された最先端の思い、

「国づくりごっこやりたい」とはなにか。

 

 (1)国づくりごっことは

国づくりごっことは、新しい遊び

現代人の可処分時間誰もが1日24時間の時間しかないその中で、家事や仕事などの強制的に費やさられる必要時間を除いた、自らの余暇の為に″自由に使える時間″)で消費されるケータイゲームや動画視聴、SNS閲覧に代替されることを目的としたゲームコンテンツ。

 

どんなゲームなのか。

 

伝えたい思いのある仲間日本中から探して、つながろう。

②2017年6月21日、夏至の日に集まって「国づくりサミット」をしよう。

 

簡単に書くと決まっていることはこの2つ。

 

遊び方(参加方法)は3つ。

プレイヤー(「実際に仲間を探したり、計画をし行動をする人」と「伝えたい思いを持ちつながってくれる人」)として関わる。

 

プレイヤー日々ゲームを進めていく様子をコンテンツとして楽しむ視聴者として関わる。(ゲーム実況Youtube等で見るような立場)

 

クラウドファンディング等で出資し、ゲーム自体が発展する様子を楽しむ投資家・パトロンとして関わる。

 

ゲーム全体の概要としては、この通り。

 
何がしたいのか

 

一見何がしたいかよくわからないこのゲーム。

「つながって国づくりサミットをした後の目的はこれです!」という着地点はあえて定めていない。

 

つながって国づくりサミットしたら2017年6月21日に何が起こるんだろうか?

という予想できない未知感も、魅力の一端を担うと感じているくらいだ。

 

未来志向はもう古い。

(一般的な言葉の定義と異なるが、未来のある一点に目標を定め、それを達成しようとするプロジェクトの進め方の意。)

予想可能な目標を立てて、そこからの逆算で物事を進めた場合、目標到達時点で起こるのは達成か、未達成のどちらかだ。

どうしても、当初想定した形が達成することを善とおもいやすく、イメージの更新も行われづらい。

 

よって、プロジェクトを進める時は、現在思考を採用している。

初期衝動・どんな思いから出発しどの方向へ向かって行きたいのかを設定した上で、常に現在にフォーカスし物事を進めるスタイルのことを指す。

 

プロジェクトが進行するにつれ、たくさんのアイディアや意見が集まり、当初思い描いていた形とは違う形になっていくことがある。

 

目標達成型の未来志向の場合、これは達成を脅かす回り道、会議の膨張、メンバーの困惑の原因と定義されかねない。

 

現在思考では、この場合も、どこから出発しどちらの方向へ行きたいかの軸の延長線上であれば、情報が更新された状態で「今」どうしたいかということにフォーカスして判断を下すことができる。想定を破壊・創造することを繰り返し、最終成果物の形をアップデートしながら物事を進めていくことができる。

 

現在思考のメリットは、最終成果物が、当初の自分のイメージ「外」のものになっているということだ。

 

当初の自分では構築できなかったものが、たくさんの人のイメージ・意思と融合し一人では全く想定し得なかった形となり実現する。

 

これは、一度体験するとやめられなくなる。

 

話がそれた。戻します。

 

というわけで、国づくりごっこシンプルな定義と参加方法のルールのみ設定し、どんな成果物が生まれるかについては手放し状態となっている。

 

何も目的はないのか。

ただの思いつきなのかというと、そうではない。

 

このゲームは「個が立つ和の共同体モデルを作りたい」という、

ひとつ手前の行動原理から来ている。

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 (2)なぜゲームをつくったのか

これまで、出会った人に「何をされているんですか?」と問われた時に、

以下のように自己紹介していた。

個が立つ和の共同体社会をつくっています。

世界を更新しています。

人生をロールプレイングゲームしています。

 

(参考:自己紹介について過去に書いた記事。この時は、これで満足していた。)


このように答えると、たいてい相手は戸惑う。

人間は、新しい情報が入ってきた時、自分の中にすでにあるイメージとつなげて理解する。

 

この自己紹介では、どれも何のイメージともつながらない上に、全て抽象的な形の無い概念であるために、膨大な時間をかけて説明してやっと、少しだけイメージしてもらうか、「そうなんですか」で終わるケースが多かった。

 

事件を起こせ

 

現実世界において「何かを新しいもの、かつ形の無いもの」を存在させたいと思ったら「事件・コト」を起こすのがいい。

いわゆるイベントというやつだ。

 

何月何日に、人が集まってこのようなことをやります。

まずは定義し、その曖昧な状態でも共鳴し賛同してくれる人を集めてイベントを開催する。

 

そして、終わったらアーカイブ重要記録を保存・活用し、未来に伝達することする。

後から振り返って意味付け・価値付けを行い、存在させる。

 

どういう意図で、何を行い、何をなし得たか。

あのイベントとは何だったのか

何を中心とし、人々が集まったのか。

 

モノづくりならば、モデルを事前に作って誰かに見せることもできるが、 

コトづくりは、最初の開催がモデルとなる。

 

「個が立つ和の共同体をつくっています。」

 

個が立つ和の共同体ってなに?

それを説明するためのモデルを作りたい。

 

そのために考案されたのが「国づくりごっこ」だ。

 

国づくりごっこは、個が立つ和の共同体のモデルとして存在させたいひとつの形なのだ。

 

社会づくりという表現では、自分の中にあるイメージとつなげて理解する対象でもなければ、興味もわかない人に対して、まずは体感・実感から新しい社会のあり方・その中でのライフスタイルを理解し味わってもらう流れを作る導線でもあり、楽しいという感覚の部分から興味を持ってもらいたいという発信側の願いでもある。

 

また「遊び」というデザインに内包することによって、既存の体制(政治・経済)に真っ向勝負で挑まないというやわらかい社会改革のスタイルをとりたいという意図もある。

10人未満の人数をもって、正攻法で「新しい社会のご提案です」と叫ぶのはいささか合理的とは言えない。

 

そういう経緯のため、国づくりごっこについて語るためには、「個が立つ和の共同体社会とはなにか」について語る必要がある。

 

→次回へ続く

hisui0.hatenablog.com

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capitulo28 今何をしたいのか(0)〜動機善なりや 私心なかりしか

国づくりごっこしたい

(1)ひとりひとりが別の世界観を持つ時代

去年の暮れに、2016年のイギリスの流行語が「Post-truth」になったこと受け、

これからは「何を【本当】とするかは、個人に委ねらていく」

と書いた。

 

2017年5月、いよいよその現象が具体化しているように感じる。

日々の会話の中でも、ひとりひとりの世界観がますます乖離していくのを感じている。

 

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これは、私の行動原理アルゴリズム

アルゴリズム=問題を解くための手順を定式化した形で表現したもの

 

「無限の可能性そのもののわたしで生きる」と決めてから、

自分の個性特性、脈々と受け継がれてきた感性を自らの中に探し、解析し、組み立て直した私の人生の指針

 

「軸が無い」「軸がぶれている」と表現される、個人の軸を記述したもの。

一義が立って、そこから大義が立ち、

一義から大義へ向かう過程で正義が生まれる。

師匠がそんなことを言っていた。

 

出発点方向性(角度と言ってもいい)が決まれば、

は立つ。

 

軸が立てば、何を善しとして、何を放棄するかの判断も明確だ。

いわゆる「ブレない」生き方を楽しむことができる。

 

このどこから出発しているかが、個人によって大きく異なる。

2017年5月に入って、とみにそれを思う。

 

(2)個人の軸はどこから出発するのか

個人の軸の出発点はどこだ。

 

信念だろうか。

いや、もっとさらに深く、

 

自分はこの世界の中で何者でありたいのか」というアイデンティティ

自己イメージ、自分が思う自分の姿。

 

ここが、個人の軸の出発点ではないだろうか。

 

わたしは、

こう思われたい、思われたくない。

こんな自分でありたい、ありたくない。

これはできる、こんなことはできない。

こんな応対をしたい、こんな応対はしたくない。

こんな人生をすごしたい、すごしたくない。

 

何かを決定するとき、

自分が思う自分=アイデンティティが行動に及ぼす影響は計り知れない。

 

また、アイデンティティを語る上で、

「世界観」という概念を抜きで語ることはできない。

 

存在は単体では存在し得ない。

環境があってはじめて、存在の用途、機能、目的が定義づけられる。

 

「こんな人生を送る自分でありたい」というアイデンティティも、

もし、生活環境が火星であったら、全く違ったものになるに違いない。

自分はこの世界の中で何者でありたいのか。

この世界とはどういうものであるのか。

これが無意識領域で個人の行動原理の一番深いところに

個人の軸の出発点として鎮座している。

 

世界観アイデンティティ

この2つが個人の軸の出発点となる。

そして、人はこの軸を基準に思考し、行動し、関係を構築し、人生を形成していくのだ。

 

(3)多様な「世界観」

個人の軸を決定する世界観アイデンティティ

 

その中でも、世界観はどのように形成されるのだろうか。

 

先日、誤って「ビックバン 写真 フリー」とグーグル検索し、

宇宙誕生時の写真をフリーで手にいれようとした

大馬鹿者が言うのも憚られるが、

 

人間の姿を持って、この世界が生まれた瞬間を実際に見て確認することはできない。

世界、どうやってつくろうかね、と神と話し合った人間もいないはずだ。

(居たとしても、そんなにたくさんはいないでしょう。)

 

今のところ「これで間違いなし!誰もが納得!」という

世界観の情報は周知されていない。

よって、文化教育知識によって世界観の認識は様々だ。

 

自らの感覚からくる情報をたよりにこの世界を定義するもの。

後天的な知識によってこの世界を定義するもの。

その知識も、宗教・哲学・思想・科学・数学と多岐にわたっている。

 

世界はひとつにつながっているという人もいれば、

神がおつくりになったものという人もあり、

天国や地獄があったり、根の國や底の國があったりする。

ホログラムのようなものである、全ては情報だという人もいる。

 

どの世界観から出発して、どの方向性へ向かい、

どんなアイデンティティを採用し、

どの観点を正義として採用し、それ以外は柔軟性を持ち、

どんな個人の軸をつくり、世界の中で人間として楽しむのか。

 

現在は、この個人の軸づくりカスタマイズ可能になっている。

情報は選びきれないほどたくさんあるし、新しく自分でつくってもいい。

量子力学の観点から見ても「全ての存在は認識した瞬間に存在が決定する」のなら、

成功哲学を学ばなくても、自分が思った通りの世界になるというのは、あたりまえだ。

 

個人の軸がそのまま世界に反映される。文字通り、世界は思い通りになる。

よって、こういった軸づくりを主とした人生設計があたりまえになってくるだろうし

(すでに、あたりまえかもしれないけれど)

違った世界観個人の軸を持つ人同士が交流する際は、

お互いのアルゴリズムを理解し合うことがコミュニケーションの大前提になっていくと思っている。

 

(4)国づくりごっこしたい

私の個人の軸、その最先端の思いとして、

「国づくりごっこ」という遊びをしたいと思っている。

正面切って真面目に論理展開しながら思いを語っても、聞き手がそれと同じ思いを持っている人でもない限り、その表現スタイルは功を奏しない。 

せっかくなら、心地の良い時間を共に過ごしたいし、つまらない思いをさせてまで、自分の考えた世界を披露したいという欲求もなかったので、普段は、真面目に語ることを避けてきたけれど、この辺りで一旦、「今、何を考え、何をしたいのか」ということを明確に記述しておこうと思う。

 

→次回へ続く 

hisui0.hatenablog.com

 

capitulo27 第一章完結。

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1年、365日。

経過する時間。

時間を楽しめるのは、人間の特権。

 

生きて・死ぬ。

この時間制限のあるゲーム。

未来永劫パスされていくこのゲーム。

 

さて、次はどこへ行こうか。

 

死にたくなることも、生かしたくなることも平等にあるけれど、

私は元気です。

 

繰り広げてきた。

走り続けてきた。

常識では考えられないこといっぱいしてきた。

お母さんもあきれてた。

 

どうせ死ぬように生きるのなら、

終わらせたいなら、

何でもできるその心で、

ぶちまけちゃえばいい。

 

やりたいこと

言いたいこと

伝えたいこと

叫びたいこと

泣きわめきたいこと。

 

そういう思いで、

生ききりたいとずっと思ってきた。

 

たった一人で生まれてきて、

この世界で彷徨って、

自分かくして、

怯えながら、探して

 

さがしてさがしてさがして

 

諦めなければ、いつか見つかる。

 

2016年4月17日。

 

たどり着いた日。

 

はじまりがはじまった日。

 

 

生きてきてよかったと、

呼吸がはじまる日。

 

壁ぶっ壊してあげるから、

こっちの壁もぶっこわしてよ。

 

ひとりじゃ、ちょっと、

難しいみたいなんだ。

 

はじまりがはじまるその一点は、

音もなく、予感もなく、ただしずかに。

 

カチッと何かがはまるように、

訪れる。

 

そういうふうになってるんだよ。

宇宙っていうのは。

 

素直に生きてりゃ、大丈夫。

忘れちゃっても大丈夫。

どっかに落っことしてきても大丈夫。

 

全部覚えているから。

心は全部覚えている。

 

世界を創るゲームをしよう。

つながってつながって繁殖する人類ゲームをしよう。

 

自分の人生つくるのは、他でもない自分。

自分以外できないんだよ。

 

もっと遊んじゃえ。

せっかく、この世界で自由に立ち回る権利受け取ったんだから。

 

はじまりから今まで。

今から遥か彼方未来まで。

 

全部の意志を一点に抱きしめて、

「今」を生きる。

 

出会って、リアライブして、生き直して、

人生再創造のデザインして、

個が立つ和の共同体でメディアアート生活しながら、

主人公ライフを生きる。

 

一緒に遊ぼう。

私たちは、J humind associationです。

 

■HP■

 

■最近の活動■

 

■note(コラム)■

 

マニフェスト

 

 

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capitulo26全部形にしました。

今まで、いろんなことやってきて、

何してる人なの?

どんな仕事なの?

何したいのと言われてたけど、

なにかが自分を止めてた。

 

まだ伝わらないって、

どこかで思ってた。

 

そのストッパー外そうぜ。

いつまで、「まだ」って思ってんの?

 

今をさらけ出せばいいじゃん。

 

ということで、全身全霊かけて形にしてみたよ。

つくりたいもの。

何を作品と呼んでいるのか。

jhumind.jimdo.com

 

一緒につくりたい。

つながりたい。

反応ください。

 

気になったこと、わけわからないこと。

 

教えてくれたら、その力を表現に変換して、

どんどんやります。

 

これは仕事であり、作品制作です。

 

価値を感じてくださる方は、ご支援ください。

循環させます。

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みずほ銀行

店番 288

行徳支店

普通 8082020

サカキミヤコ

or

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========================== 

なにものでもないから、何者にでもなれるんだ。

やっちゃえよ。

やっちゃおうよ。

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宇都宮久寿神社の歴史(1)

2016年11月28日 宇都宮悠祐の誕生日から語り始めよう

 

動画配信開始。

 

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2016年12月 本音アウトプット開始

クリスマスに爆弾発言。

 とめどなくあふれてくる言葉。

 すべて出し切りたい日々。

シンプルな気付きに集約されていく。 

 葛藤の中2016年は幕を閉じる

 2017年1月 出会い×なんにもしない×無限大実験

いろいろな人と場と出会う

 

いろいろなことが起きる

動画撮られたり。

電話が来たり。

ブロックされたり。

 

家族とも出会う

■おかん■

 

■おとん■

ブチ切れた。

その結果。

 いろいろなことを実験してみる

仕事辞める。 

 

情報発信をはじめる。

Line@をはじめる

創りたいものの形が見えてくる

 

 

 

 

 

 

いろいろなことに気付く

 発信を続けていると。

 

 もう諦めた。

未知の領域へ。 

叫びながら進む。

してみたらいいよ。 

「なにもしたくない」を することにした。

 

 思い込みを突破する。

 

大きな実験が始まる。

 

配信を続ける

 → 宇都宮久寿神社の歴史(2)へ続く。