メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

もやもやするのはエロスの仕業。

何かしなくちゃ。という心は、自分が世の中に何かを生み出したいという欲望だったのか。

「生む」というイベントの前には、必ず「宿す」というイベントが存在する。
きっと今までの人生のどこかの時点で、
何かしなくちゃ病の人には、何かが宿ったんだ。
そして、その日からその人とともに育ち始めた。

何が宿ったか、覚えてる?
私はこの間思い出したよ。

そいつは「そろそろ生まれたいよ。」っていってるのに、
なかなか生んであげられない。なにもできない。
それがもどかしくて、毎日焦る。

子を宿すものが美しいものに近づくと、
それは穏やかになって喜びに満たされ、子をなして、生む。

だが、それが醜いものに近づくと、それは不機嫌でつらい気持ちになり、
顔をしかめ、萎えてしまって、子を生むに至らない。
そして、子を宿したまま、苦しむことになるのだ。

だそうです。ソクラテスさんが言ってた。
ソクラテスさんもディオティマさんに聞いたらしい。

消費生活の毎日を暮らしていると、
なんだかまわりに「不」がいっぱいあることに気づく。
不安・不満・不機嫌・理不尽・不意とかとか。

そんなものに囲まれて、人が何か生めるわけない。
もわもわ、どろどろ、ぎらぎら。
吹き飛ばせる力が吹き飛ばす、なければ、さよならしよう。

美しいものに触れるようにすること。
身の回りを美しくすること。
そしていつも、よいもの、美しいものを求める気持ち(エロス)をもって生きること。

まずは、そのあたりからはじめてみようと思った。
そうしたら私も、
この心に宿った「何かしたい病」の根源が生めるかしら。








プラトンの饗宴を読んで思ったこと。

<次回予告>
徳ってなんだよ?

心に宿った何かの話のところで突然出てきた「徳」

美を探す旅路の途中、予想外の単語に動揺する一同。

「徳についての議論は、プロタゴラスを参照」との謎の言葉を手がかりに、

一同は、丸善に急ぐのであった・・・。