メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

自分の出来る一番遅いスピードで体を洗う

あとはもう寝るだけ。っていう時間にお風呂に入って以下の事を試してみる。


『自分の出来る一番遅いスピードで体を洗う』


あああああああああああああああああああああ。


髪の毛。しゃかしゃかってやりたくなる。
ポンプ。ごふごふ押したくてたまらない。


ああ、出来ない出来ない。
苛々する。
ていねいは難しい。


よかったらやってみて。
私5秒無理だった。


何に追われているんだ。


なんで急いでいるんだ。


早くやる方が善いのか?


雑でも速い方が偉いのか?


なんで集中できないんだ?


どうせ急いだって、
時短したその何分かも、
今と変わらぬ冴えない日常だよ。


急いでも意味ない。
ちょっとは、おちつけ。
いいから、おちつけ。


こんな暑い日は、
思いっきり時代に逆行したくなる。


(いや、ある意味操作されているのか。
もしかしたら僕も、物価上昇の一翼を担わされそうになっているのか。(疑問))


いつの間にかブログの横に、雑然と広告が並んでいても、気にしなくなってる。
きらきらと色鮮やかなバナーが僕を誘い込んでる。


「お兄さん。それに興味があるんだったらこちらはいかが?」


いつ忍び込まれた。いつから巻き込まれた。


せっかく自発的に何かを調べようと思ったのに、
何か一つの事を考えようと思ったのに。


邪念は少しも悪意を見せる事無く、
選ぶ権利はこちらにあるように仕向けた手だれの営業マンみたいに、
嫌みの無いご提案を思考の中に落としていく。


興味は拡散。
思考は出番待ち。
なにひとつ感じる事無く、情報を消費して終わる。
速読なら任せろ。
あまりに速すぎて、意味もよくわかってないけどな。


困ったな。困ったな。
早く賢くならなきゃ。


サラダを上手に盛りつけられるアルバイターは、
60歳になってもサラダを上手に盛りつけるのか。


僕はサラダを盛りつけたくない。