メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

内なる声が聞こえた日。

「自分の内なる声を聞こう。」と何かに書いてあったけど、
昨日聞こえた。
なーんだ、お前さんかい。
という実感。


内なる声って、


――――――――――――――――
ざわざわざわざわ。
『あなたには、こーんな素敵な才能がありますわよ。』
キラーン☆


ごごごごごごごご。
―――――――――――――――


みたいなスピリチュアルな、壮大なお告げかと思っていたけれど、
そうじゃなかった。


たとえば、会社で、
「あれ、このファイルのパスワード何だっけ?」
って思った時に、


『内線かけて、わかりそうな人に聞いちゃえよ。』
って思うんだけど、


いやいや、いきなり聞いたら失礼だろ。ラクしすぎ。
まずは、調べないと。どっかに書いた気がするから。
って、調べて10分。結局わからなくて電話する。
ってことが良くある。


この時、10分前にささやいた『』が内なる声なんだと思う。


例えば、道で誰かが何かを落とした時、
『おとしましたよ!』


奴は、いの一番に叫ぶんだけど、
その後、


あー、声かけるべきかな。
どうしようかな。
あ、タイミング逃した。これはもう無理だ。


お。おじいちゃん。声かけた。グッジョブおじいちゃん。
よかったよかった。


って謎の躊躇思考が繰り広げられる。


これが人生の邪魔をしているんだと思う。


自分がどう動くべきかは、
内なる声さんが先にイメージも伴ってアドバイスしてくれているのに、
なぜか一回考える。


分岐ポイントは、がしゃん!!と大きな音を立て、
私の人生の列車を少しだけ違う方向に誘っていく。


人生は判断の積み重ねだから、
そうやってその人の人生はどこかに向かっていく。


だったら、いの一番に叫んだ内なる声に飛びついて、
連れていってもらうのが楽しそうだ。


ちょっと、今週はそのままやってみる。