メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

AIに思春期はおとずれるのか

人工知能の敵とは? SECCON実行委員の園田道夫教授らが人工知能のセキュリティについて議論(INTERNET Watch
 
AIの開発っていうと、デジタルな工学バリバリのイメージあるけど、結局は子育てと一緒なんだね。
 
どんな情報を学習させたらいい?
どんな思想は非行に走りやすい?
何を基準にそれらを分けるか。
 
科学者の悩みは、さながら幼児教育の本を図書館で片っ端から読み漁る、新人ママのそれと同じにみえる。
 

 

正しく育てたい。
私のような人生は送って欲しくない。
子供の頃に自分が出来なかったことをしてあげたい。
私の"思った通り"自由に育って欲しい。
 
大切に思うからこそ、真剣にそう願う。
 
さて問題です。
 
Q:そもそも正しさとはなんでしょうか。
 
今の人類は「正しさとは何か」に答えを出せない。
なぜなら、正しさの外に出られないから。
その状態でAIに正しい情報をインプットしようとしても無理がある。
 
テントの中にいたら、テントの形を把握できないように、
『それそのものを正確に観測するためには、外に出る必要がある』のに、
人類は考えの外に出ようとしない。
出ようとも思ったことない
 
A:正しさとは、過去の集積に過ぎない。
 
環境から他発的に生み出されるは、判断基準。
時代を掌握せんとする一部の人たちが提案する社会というゲームのルール。
 
それに対して、
賛成:反対
どちらかの判断基準しか選択できない人間の脳機能の限界。
正しさは、人間が生み出した相対的なものでしかないんだ。
 
その正しさを生み出す、認識活動の限界も知らないで、
正しさ同士でであって、ぶつかって、
他者を排除し、自らの正しさを正当化しようとする。
 
これ、人類の悲劇の根本原因。
過去、考えの檻の中から出られない苦しみ。
それを人類500万年間ずっと続けてきたんだ。
 
そろそろ卒業しませんか。
わざわざ大変な方を選ぶこともないでしょう。
 
今後の教育とは、
「どこから」「どこまで」「どのように」知ればいいのか、
はっきり定義した状態で、
正しく知り、考え、行動することが出来る人を育てる教育。
 
人が「正しい」という観点を生み出す、そのメカニズムがわかって、
認識活動をひとつのシンプルな動きで解析する、新しい道具の使い方を学ぶ教育。
 
何かを考えようと思った時、
拠り所となるのは、過去に体験した知識のみ。
それ続けてても、一向に未来は来ない。
来たとしても、今の延長線上の過去の問題を全部引き連れた断捨離できない未来。
 
これからは、過去の情報知識はAIに任せて、人間は未来を担当しよう。
 
本当のクリエイティブ。
今まで誰も見たことないイメージを想像するのは人間のお仕事。
 
正しいってなんだかわからない人類に育てられるのと、
わかっている人類に育てられるのと、AIは後者を選択するでしょう。
高度な解析能力なくても、自明の理。
 
さて、考えの外に参りましょう。
 
それを可能にさせる観術教育。
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