メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

capitulo011 育て直すということ

人間は判断基準にまみれて生きてる。

 

人が話してる時も、

相手から発信されるひとつひとつの考えについて

「これは正しい」

「これはちょっと変」と、

頭の中で振り分けながら、話を聞いているのが常。

 

そして、その正しさとは

「自分が思っている正しさ。」


絶対的なものではない。

それぞれの正しさ。

 

これのせいで、関係性はうまくいかない。


結局、

過去のどこかの時点で創った自論を武器に、
"あなた"に共感してもらうか、


"あなた"を攻撃して屈服させて自分の考えに従わせるか、

どっちか。

 

もしくは意見が相容れなくて、

もうめんどくさいから黙るか。

 

だから、

『判断基準の生まれる仕組みを知って、
 凝り固まった観点の固定を、一旦全部ほどきましょう!』

というのは、人が人の話を聞く上で、大切なことだと思う。

 

だって、その固定がある限り、

勝手にフィルターつけて相手の話を聞くことになるし、

部分情報しか入って来ないし、

正しいのか、自分を違う考えなのかのどっちかに振り分けることに

エネルギー使いながら聞くのは、

少々勿体ない。

 

人の話を、そのまま味わうことが出来たら

人生はもっとおもしろいし、疲れない。

 

自分を守る必要なくなるし。

 

①自分の生まれてから今までに経験してできた観点も、

②人間の脳の機能によって人類共通で発生する観点も、

③もっと深く存在が共通して持つ性質からの観点も、

 

全部の固定をするするほどいて、

すなおで純粋な心に戻りましたー。

 

そして、

その後。

 

そう。

その後が重要。

 

そのほどけました状態だと、何も判断が出来ない状態。
「なんでもいいや〜。なんでもOK〜」のままだと、
やりたい放題になる。

 

判断基準が無いと、人は判断して行動出来ないから、
その時の「やりたい放題」の行動は、
元々脳に刻まれた、本能をベースとした行動になる。

 

全然自由じゃないやん!!(ノ ̄□ ̄)ノ

 

そう思った。

 

判断基準をクリアにお掃除した後に、
そこから、どんな判断基準を作って選択と行動をするか。


「必ずこう!」って固定させるとまた苦しくなるけど、

未来こうありたいっていう自分と世界のイメージ明確にもって、
その作り上げた未来のイメージを元に、今ここを判断するのがいいよ。

 

自分を育て直すことが必要。


子供育てるみたいに、
「どんな人間になりたいか、どんな人間関係を創りたいか」
それに必要な観点の置き場を定めて、
ひとつずつ習得していく必要がある。

 

過去につくって、また使えそうなものはリサイクル。
今まで、無かったものはチームプレーで周りからもらう。

 

どうせ、過去も未来も同じ材料で出来ているんだから。


脳の中のイメージ。
想像力の産物。

どちらも手に取れるわけでも、形があるわけでもない。

 

過去と繋げてうっかり同じ判断を繰り返すのが人間の特性ならば、
未来と繋げてうっかり判断することを続けたら、それがあたりまえになる。

 

書店でいわれているような、みんなの望む思考は現実化する。

 

簡単なこと。

 

素直になって、未来のイメージを蓄積させて、

しくみを道具に使って毎日を過ごせばいい。

 

人は、みるみるなりたい自分に変わっていくから。


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