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メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

わたしのメディアアート論Ⅰ

作品としての人生、

総合芸術としての時代という定義。

 

その上で、何を創るか。誰と創るか。

どうしたら、世界を作品として見る"目"を多くの人に渡せるか。

Ⅰ.初期衝動

誰かと出会う。
「何をされているんですか?」と問われる。

私は適当なことを言うのが得意だから、
その時、その時で、
相手に伝わりそうな事を言ったり、
気まぐれに突拍子もないことを言ったりしてみる。

  • 主人公をつくっています。
  • 未来を販売しています。
  • 教育関係の事業をしています。
  • コンサルみたいなことをしています。
  • 革命家です。
  • 音楽家です。
  • 人をプロデュースしています。
  • ワークリエイションをしています。
  • 人と人を繋いで新しい仕事を生みだしています。
  • 人間楽しんでます。
  • リアライブコンダクターです。
  • 遊牧民です。
  • イベント運営とかしてます。
  • 街づくりをしたいんです。
  • 新しい形の会社をつくりたいんです
  • 「何してそうに見えますか?」

表現は様々。反応も様々。
人間として興味を持ってもらえれば、問題ない。
その後は、いかようにもなるから。
繋がる人とは、必ず繋がれると高を括っているから。

 

そもそも、私にはスキル的な専門性はほとんどない。

 

『プロになるには1万時間』
と言うけれど、
器用貧乏で何でもやっていたから、
職業的な専門性というものはほとんどない。

 

音楽、デザイン、WEB、プログラム、趣味、雑学、学問、
全部、広く浅く趣味レベル。

 

ただ、ひとつだけ。


1万時間と言わず、
26万時間くらい寝ても覚めてもやっていることがある。

 


それは『人間という道具の使い方』をマスターすること。

物心ついた時から、寝ても覚めてもそればかり探求してきた。


この体を持って、一体何をしたらいいんだ。
気づいたら生まれちゃってて、
その「生きてるんだ」という事実に気づいた瞬間に
「あなたは必ず死にます」と同時に知る。

 

なんだそれ。

 

有限の権利と義務。
あまりにひどいじゃないか。
勝手すぎる。

 

世の中では、生きていくことがいいこととされ、
生きていくためには、しなくてはいけないことが沢山用意されていて、
選ぶ自由もないまま、
呼吸をして、ご飯を食べて、
学んで、
人と関わり、
社会に出て、
お金を稼いで、
時間と可能性を購入する、
そのルールに強制的に加入される。

 

人生というRPGゲームは、理不尽なことが多い。
ラスボスもわからない。
エンディングは強制終了。


自分で決めていないことには責任持てないよ。

 

なんで、生きろっていうのさ。
私決めたわけじゃないのに。
ゆとり世代のリアル。
ただ生きていることに感謝できない贅沢な身分。


その中で、人生の楽しみと目的探せと言われても、

それって

「とりあえず大学入ってから、やりたいこと探すわ」
的な発想じゃないの?

 

釈然としない。

どこから来て、どこに行くのかもわからないまま、

「さあ、行ってらっしゃい」と笑顔で送り出されても、

不安すぎる。

 

何したらいいの?

何のために?

これは合っているの?

間違っているの?

そもそも、正しいも間違いもないのか。

生きていることは、苦しすぎる。

朝起きた途端に不安が押し寄せてくるよ。

 

今日も生きなくてはいけないというプレッシャーが。

「死ぬまで楽しめばいいじゃない」という大多数に対する気まずさが。

朝起きたばかりの無邪気で純粋な思考回路を、

混乱させて、迷わせて、ひどく不安定な気持ちにさせる。

 

全部知ってから、自分で決めたい。

自分の人生は自分でデザインしたい。

「やる」か「やらない」かも含めて。

 

そんなことばかり考えていたら、

ある日、

 

人生とは
人間とは
時代とは
世界とは

 

何かに答えが出てしまった。

 

→次回に続く

 

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