メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

わたしのメディアアート論Ⅳ

前回の続き。


今日から楽しめるメディアアート生活へご招待。

前回は<記録・保管メディア>と言う側面からの
人間の味わい方。

 

今回は、伝達メディアとしての人間について

「人間がしていることは想像と創造。」

imaginationとcreation。
お気に入りすぎて、何度も使っているこの言葉。

 

頭の中で想像したものを、

誰かに伝えて、それを現実世界で形にする。

人間は気づいたらそればっかやってる。

 

「そのマヨネーズとってー」
『これ?はいよ―』

 

っていうのも、

 

「カレー食べたい!!」
『ん?じゃあ、次の駅で降りる?』


っていうのも、

 

「2020年に東京でオリンピックやるぞ!」
『それなら、コンセプトはおもてなしだな』

 

っていうのも、

 

「(冷蔵庫に牛乳まだあったけな?)」
『パカッ(あ、あった。)』

 

っていうのもしくみは一緒。

最後のは、わたしと冷蔵庫の対話。

 

今は無い未来をイメージして、

誰かに言葉や行為を持って伝えたら、

その人が持っているイメージと合わさって、

現実的な形が生まれる。

 

もしくは、

イメージをキャッチボールしあってたら、

どんどん膨らんで、最初のイメージが成長していく。

そして、いろんな人に話して現実化する。

それの集積が、社会であり、時代となる。

 

その行為を普段は「会話」と呼んでいる。

 

 

人間は、いっつも何かと交信している。

相手は、

冷蔵庫だったり、

ペットの猫さんだったり

人だったり、

未来の自分だったり、

様々だけれど、

 

ひとりで居る時も、

常に。

交信し続ける。

 

それを、コミュニケーションと呼んでいる。

コミュニケーションは人間活動の基本活動。

 

メディアアート生活は、

このコミュニケーション全てを作品と呼んでしまうことにしている。

 

深夜の考え一つ、

人との会話も全部、表現活動。

作品と作品が対話する、愛でるべき行為。

 

さっき思いついたくっだらない考えも作品。

 

遠い過去からたくさんの想いが集積して、

今ここの何かと交信した結果、生まれた表現。

 

くっだらないけど、愛してやるか。

よしよし。

 

って具合に、かわいがっちゃう。

 

そんなことばかりやっていたら、

人間ってすごいなー。ってことに色々気づきだす。

 

そもそも会話って高等技術だよね。

 

相手の話を聞きながら、

一瞬で思い浮かんだ伝えたいイメージを、

時間軸を使いながら、言葉に変換して、

頭から順番に話しているんだよ。

 

それも、無意識に全部の作業をやってのける。

ジャズセッションより、大変だ。

 

 

ちょっと意識してみて、

ひとりで居る時も、

必ず、何かと何か、常に人間は2つの間でやり取りをしているから。

 

それ全て、愛すべき作品。

会話と言う芸術。

自分が何より先に鑑賞してあげてくださいませ。

 

身体を持った人間であることを、

最大限楽しんでくださいな。

 

→次回、わたしのメディアアート論・最終回

hisui0.hatenablog.com

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