メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

第零話→死にたい気持ちはなくさなくていい×とことんやって死んじゃえばいい

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誤解を招くタイトルではじめましたが、

近況報告を整理しようと思います。

 

最近なんだか、放っておくと悲しいんですよね。

自分由来なのかなんだかわからないけど、

とりあえず、悲しいわ、泣きたいわ、しにたいわ、

原因がよく分からないから困ったもので。

 

こうなったら、とことん感情を感じたい人間マニアなので、

これはどこからくるのか。一体なんなのだ、

と、一日追求していてたどり着いた結論。

 

死にたい気持ちはなくさなくていい

生きてると、死にたい気持ちって出てくると思うんですけど、

なぜかこれ、世間的にも自分的にも「無くそう」という方向で、

持っていこうとするけれど、

そもそもなんで無くそうとするのか。

 

「生きたい」は賞賛されるのに、

「死にたい」は駄目。

 

↑か、↓か、

の違いなのに不思議。

 

これは私の勝手な経験論ですが、

「死にたい」と「自殺をする」って全く別のことだと思うのです。

 

人によって違うと思いますが、

私の「死にたい」は、自殺したいんじゃなくて、

消えちゃいたい。投げちゃいたい。終わりにしたい。

溶けちゃいたい。諦めちゃいたい。還りたい。

 

こういう類いのものです。

 

これって、一生懸命生きてみた結果

出てくる「死にたい」

 

頑張りすぎた後とか、

人間の人間らしい感情とか意図とかに触れ続けるとなります。

素直じゃない人と話してると、底の方で抑圧している感情の方をキャッチして、

そのエネルギーにやられる始末。

 

なので、

死にたい→はい、じゃあ死にます。

とはならないタイプの「死にたい」です。

 

世界に期待するか、失望するかの選択肢で、

ゆらゆらと揺れている時に出てくる感情の一種です。

 

この死にたいは無くさなくても良いと思うんですよね。

別に、病でもなんでもなく、

正常に生きていれば出てくる感情の色だと思います。

 

だから、海に向かって「死にたいー!!!」って叫んでも良いし、

 

周りの人も、変に元気にさせようとする必要ないんで、

「そうか、死にてえか!お前、すげえ生きてんな!!!」

くらいの反応で構わんと思うのです。

 

死にたいを感じずにこじらせていると、

虚無になります。

 

虚無は、戻ってくるのに時間がかかるイメージがあるので、

おすすめしません。

 

一度わざと塩かけて錆びさせたアンテナを

復旧させるのって結構大変。

 

感情を無視し続けることをに耐えきれなくなると、

生きるも死ぬも、

意志を持つも委ねるも、

よくわからない狭間で無色の世界と対話することになるので、

死にたい時は、死にたいって言いましょう。

 

そして、聞いた人は、なんで死にたいのか普通の会話みたいに聞いてやってください。

「なんで、そのキャラ好きなの?」くらいの日常会話で。

 

とことんやって死んじゃえばいい

ここからは、昨日の気づきの範疇。

 

死にたいウェーブは大抵なにかに取り組んでる時に来ます。

何にもやることがない時は、

 

「なにかしても良い:なにもしなくても良い」

の選択肢を両方持った状態なので、余裕があるのですが、

 

「何もしなくても良いけど、これをする」

って決断した後は、

「これをする」にまっしぐらになるので、

勝手に思いついたことはやりきるモードにスイッチが入ります。

 

そして、ある時、

周りとの温度差を感じた瞬間に、

「あれ?なんか、やり過ぎてる?」ってやっと気づきます。

 

たぶん、熱中スキルが人よりちょっと多めなのかもしれません。

 

「ちょっと納豆かき混ぜといて」と頼まれて、

10回混ぜる人と、

100回混ぜる人と、

1000回混ぜる人と。

 

どれも「ちょっと混ぜといた」ことには変わりがないわけで、

それは、それぞれの尺度の違いなので、

どれがすごいとか、賢いとかそういう話ではないのです。

 

で、わたしの「ちょっと頑張ってみる」は、

台風だったら大雨雷波浪洪水警報がでるくらい頑張ります。

 

だから、なんかみんなと温度差あるのかなってなると、

とたんに寂しくなるし、

とはいえ、頑張るレベルを下げてみたところで、

結局あれもこれもやりたくなっちゃうし、

後悔するの好きじゃないし、

 

(+)「私がやらないと動かない気がする!」っていう気持ちもでてくるし、

(ー)居なくても事は成就される気持ちも出てくるし、

 

(+)「もっとみんなやれることやれるぜ!」っていう気持ちも出てくるし、

(ー)「できなくなるかもしれない」と思っている無意識も自分の中に見つけちゃって、それをほどいて結ぶ作業もしたくなるし、

 

あれやこれや両極が一気に湧き出てきて、

 

あーもー、死にたい。

 

となる。

 

今日はこれの解決方法を見つけた。

 

 

死ねばいい。

意識の上で、自分を一旦殺す。

 

今の所、死んだとしても、

地球に還っていくので、

今度は、地球となって続きをやることになる訳ですが、

 

一旦、死んだイメージをして、

今までのごちゃごちゃと一緒に、これまでの人生を殺しましょう。

 

自分が居なくなった地球を想像する。

 

で、しばらく想像した後に、

「・・・生まれてもうちょっとやりたいことあったな」って思ったら、

意識の上で生まれれば良い。

新しい自分として。

 

その時、死ぬ前に考えていたごちゃごちゃは、

捨てちゃってください。

過去を全部捨てろと言っている訳じゃないです。

 

なんでわたしばっかり。

できないかも。

ああだこうだ。

 

これって、全部妄想ですから。

この、妄想回路は捨てちゃってください。

 

生まれ直したら、もう全部リセット。

また0からはじめましょう。

新しいことやるのは勇気が居るけど、

0からなら軽い気持ちで動けます。

 

一回意識の上で完全に死んだあなたなら、

今、できている全てのことが、

素敵な、奇跡みたいなことだって感じられちゃうはず。

 

今日は、この方法を見つけて海で私を殺してきました。

 

生まれ変わると、結構楽しいよ。

新しいチャレンジだからね。

 

たぶんまた、やり過ぎるだろう。

やり過ぎてごちゃごちゃになったら、また死んじゃえばいい。

 

輪廻なんて壮大なことしなくても、

肉体で死んで、肉体で生まれ変わらなくても、

意識の上で死んで生まれれば、

日常生活の中で輪廻を使える。

 

それもこれも、私がこういう世界観で生きているからこそ、

できることかもしれないけれど↓

hisui0.hatenablog.com

 

さて、またやり過ぎにいくか。

 

今、國創ってるんだ。

また、それについて話すね。

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