メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

第十三夜→冷蔵庫の残り物のようにやる気を使い切れ

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わかったぁぁぁぁ!!!!!

 

突然、やぶからぼうにごめんなさい。

ここ3、4日くらいモヤモヤとしていたことに答えが出そうだ。

 

そうだ、探す方向が違っていたのだ。

 

もう少しで

『これだ!』っていう答えが目の前を照らして

もうしばらくは止まれないくらい動き出してしまうんだろうな。

 

そんな予感がしているので、今日は書ききるまで、全部出し切るまで書き続けるつもり。

だって全然眠くないんですもの。

 

何の話?

これは、どこから話したらいいんだろうか。

とりあえず思いついたことを、友達に話すようにバーっと書いてしまうよ。

 

今伝えたくて伝えたくて仕方ない。

伝えたいというか、それよりもっと多分下位の欲求で

この持て余しているエネルギーを何かに使い切りたいんだ。

 

歌ったり、踊ったりするのもいい。

だけれど、私の表現はたぶんそれじゃない。

 

自分が「これだ!」っていう表現方法でこのエネルギーを放出したくてしょうがない。

 

そうだ。

 

やる気がないって言われていた人はやる気がなかったわけじゃない。

 

むしろやる気しかなかったんだ。

 

ここでいうやる気っていうのは、こう「なにかしたい」とか、そういう何もしない状態で佇んでいると湧き上がっている動き出したいあの衝動のようなアレのことを指している。

 

やる気がないと言われていた人がなかったのはやる気じゃなくて、『そのやる気を使い切るための表現方法だ。』

 

え、こんな簡単な視点の移動?

みんな知ってた?

 

というか、何言っているか伝わっているかな?

結構今

『ぅおーーーー!すごい発見だ!!⁽⁽٩(๑˃̶͈̀ ᗨ ˂̶͈́)۶⁾⁾』ってなっている。

深夜2時なのに。

 

だから、探すべきはしたいことじゃない。

 

もちろんしたいことや好きなことに気づいていく段階も大切なんだけど

 

それが一段落したら、ずーっとしたいことだけ探していても次に進まないから

 

次は、視点を移動する。

 

イメージとしては

中・奥・深にあるものを

探しているイメージから

今度は外に発射するイメージに焦点を変える。

 

溢れんばかりの燃料を両手に抱えていて

これをどうやって燃やして外に放とうか。

放射、発散、放出しようか。

 

そして、思いっきり放つイメージ。

 

本当はこうしたかったんだよな?

 

言葉はなんでもいい。

そう。

外に出すことだけイメージする。

 

これは多分感情じゃない。

感情発散とは違う。

言葉には人それぞれ

違うイメージがあるだろうけど

エネルギーとしかいいようがない。

 

放つってどうするかというと

まずは、誰かに話すのもいいし

こうやって書いてもいいと思う。

 

歌ったり叫んだりでもいいと思うけど

多分それじゃあ

ひと時の満足しか得られないと思う。

 

ひとりひとりそれぞれの表現方法があるんだ。

その方法でエネルギーを放てば

たぶんすごくスッキリする。

 

本来の仕事ってそういうことだと思う。

 

その人の放ち方。

 

お腹のあたりにたまっていたなにか。

それが

背筋を伝わって

頭のてっぺんから

高速で外に放たれていく感じ。

 

それをイメージしたら

じゃあ具体的に『どうやってやるんだい』って行動に移せばいい。

 

というか

この視点移動に気づいたら、

『どうやってやろう?』とか

考える暇ないと思う。

暇というか隙というか。

 

やらずにいられなくなるはずだから。

 

『思いが思考を追い抜く瞬間を体感せよ。』

 

こうしたい、これやりたい、と

言語化される前の思いに

思考があれこれ知恵を入れて邪魔をする前に

見切り発車でやってしまえ。

 

何をやろうとか考えている

その選択肢が思い浮かんだ瞬間に

片っ端からやればいい。

 

心配しなくていい。

どうせ有り余っているんだから

効率なんて求めなくてもいい。

 

目的は発散だから。

結果じゃないから。

 

一回そのモードに入ってしまったら

もう考える必要ないよ。

 

勝手にどうしたらいいか体がわかるはず。

 

思考のスピードを追い抜いて走っている思いは勝手にあなたの体を動かす。

 

だから眠れなかったのか

最近眠れなかった理由はこれだ。

起きていなかったからだ。

 

起きると寝るは裏表の関係。

疲れたから寝るんだ。

 

起きている間に

大してエネルギーを外に出していないのに寝る気にならないのは当たり前だよね。

ちゃんと生きてから死にやがれ。

そういうもんだろ。

 

なるほど。納得行った。

朝も夜も全部同じ色の人生もありだけど、

せっかくなら朝と夜の区別を楽しみたい。

 

人生の時期によってこの好みも変わってくるのかもしれない。

 

長いスパンでたくさん頑張ったら長くお休みしたくなると思う。

 

そういうときは

朝と夜の区別なく

日々の中にたゆたうように

心と体をほぐす時間も

恋しくなってくるだろう。

 

けれど、これもメリハリだ。

今は、陰陽を楽しみたい時期。

 

朝と夜のある

起きている時間と寝ている時間のある

コントラストの効いた人生を

楽しむ時間に入ろう。