メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

生き方について考えているリソースを感じることにまわす_00

これからいろいろ投稿するにあたっての今の気持ち

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 またいろいろ思いついちゃったので、

とりあえずここに書き連ねておいて、

後から見返してまとめるか、

必要な時が来たら細切れにして使おうと思う。

 

生き方について考えている時間って生活の中でどのくらいの配分?

わたしはこれまで、起きている時間の半分は生き方について考えていたよ。

 

人間マニアだからしょうがないよね。

 

生き方っていうと抽象的すぎるから、

もう少し具体的にいうならば、

 

・精神的なコンディションを万全にしておくためには、何種類のバリエーションのモードに意識的にシフトできるようにすればいいのか

・わたしは何に向かっていて、今どの段階にいるんだろう

 

とか、こういうのを考えて、はっきりさせて、言葉にして、確認して、

実際に日々の暮らしの中でどういう時間を定期的にとったらいいのかとか、

まるでジムのメニューみたいにストイックに計画と実行をしていた。

 

ここ1ヶ月くらい、特によくやってた。

セーブポイントがひと段落して、人が来なくなったから、

じっくり自分に目を向ける時間がとれたんだと思う。

 

うまい具合にこういうタイミングが来るのって嬉しいよね。

順番やタイミングとかうまくできてるなぁっていうことに遭遇すると、

大きな流れにちゃんと乗れているな、よしよしって満足する。

 

そんな感じで「生き方」について結構一日のエネルギーの多くを注いでいたんだけれど、そろそろ節電したいなっていう気になってきた。

 

節電したい

起きている間にしていることについて計画的に考える時、

電力供給みたいなイメージがある。

 

エネルギーってよく言うけど、言い換えれば気力、やる気。

なんでもいい。

何かをするためにそこに意識を向けるときに使うやつ。

集中してやりきった後に

「あー疲れたー」ってなった時に使ったやつのことを指している。

 

無意識側には制限のないエネルギーがあると思っている。

そして、意識側は1日24時間という世界の中で、人間という機能を使ってあれこれするので、ある程度電力(エネルギーのことを電気にたとえている)量は限られてくる。

 

きっと、頭の使い方や意識のトレーニングで

起きている間にどれだけのことに注力して力を入れてできるか

っていうのは変わってくると思う。

 

人によって契約ワット数が違うみたいな感じで。

そして、キャパを超えるとブレーカーが落ちる。

 

そんな感じで、電力量が限られているから、テーマを制限する必要がある。

一度にあれもこれも考えたり意識したりやろうとすると、キャパを超える。

 

だから、賢い方法は、

テーマを決めて意識を向けていろいろ作業して、

納得したり、答えが出たら、

それを習慣化することに電力を使って、

あたりまえにして、無意識でできるようにしちゃう。

 

そうすると、そのテーマについてはもう

意識側の電力使わなくていいから、電気が余る。

 

すると次のテーマについて作業ができる。

こんな感じで順番に、自分の意識プログラムを改変していける。

 

無意識の海に沈んでいたテーマを意識の舞台に引っ張り出してきて、

改変して、また無意識の海に沈める。

 

そんなことを繰り返してきた。

 

なんで、改変が必要かというと、

思考は意外と歴史に毒されているから。

 

本当はなんでもできるはずなのに

何年か前まで、なぜか人間なんでもはできないような気がしちゃってた。

 

なんでだろうって考えたら、

みんなそんな感じのことと思っているし、言っているからだなって思った。

 

これは、これまで人類がそういうもんだと定義付けてきた集大成の初期設定であって、今わたしが生きるのには必要なさそうだったから、

初期設定の改変が必要だなと感じた。

 

それからどんな感じの初期設定にしたらいいかな~?

って研究して実験してた。

そして、一個答えが出たからいままとめてかこうとおもっている。

 

さて、要点をまとめます。

 

人生ゲームを明確に。

ルールと遊び方を明確に。

生き方についてあれこれ思いついた順に非効率的に考えるのをやめよう。

 

これって、他の人にもあてはまるのかな。

それともにひとりひとり違うのかしら。

 

まだそのあたりがよく見えてないから

書いていくことで見えてくるものもあるかなと思って書いてみる。