メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

犯行声明

あくのそしきによせて

僕が初めてあくのそしきを始めなくちゃと思いついたのは
友人と大学を自主休講してドライブしている時だったと思う
今日は学校にいるより外の世界を見た方が有意義ではないかね、
となにかに囁かれたから休んだ日だったと思う

ほとんど毎日そんなだった気もするけど

さぶぷらいむろーんとか色々いわれていたけれど、
上がりも下がりもしない時給でバイトをして大学生している分には、

全然危機感なんてなくて、
あったとしても、

それは知識人を真似た洒落た会話の中での机上の空論でしかなく
空は晴れていて、今何時か、何日か何曜日かわからないけど問題なくて、
多分5月だったような気がしていて
あったかいなぁ、きょうは
未来も希望も可愛げがあって、いやそんなこと認めなかったけど、



夢という言葉が大嫌いで、
誰にも触られたくないくらい大切で、いやそんなこと認めなかったけど
大人たちにきちんと洗脳されたように

「君たちはこれからなんでもできるじゃないか」
はい、そうですよ。そうそう。
無駄な自信と可能性だけ持て余して、
創作活動としめきりとライブと、信念を生活の中心に据えて生きていた

淡々と続いてくいく日常に慣れてしまうのは怖かったし、
残念ながら「大人」になって、
毎日生活とか家族のために身を犠牲に働く社会人にもなれそうになかったし、

見事。



脳内お花畑、マイライフ。平和の象徴と呼んでくれて構わない
特に恥じてない。事実は事実。間違っていたとも思っていない。



戦争も無い認識だったし、
なんとなく人との距離もわかってきて明確な敵も居ない
円高になっても、マックが安くなってラッキーみたいな感じだったし
地下鉄に猛毒が巻かれたときも、

教祖の歌を学校で歌って先生に怒られた理由がわからないままだったし
子供の頃からサービスに慣れていて、

お金を出せばそれなりの楽しげな時間を買えることも知っていた
お酒をのんで騒いでいる大人が大嫌いで、
彼らは大切な何かを失ってしまったかわいそうな人たちだと思っていた



都会とは言いがたい、
東京じゃないけれど

東京まで電車一本で行けるよ。な中途半端な立地で生まれて、
小さな頃からまんがや小説に囲まれていた我々は

主人公としての生き方しか学んでこなかったし、
教授に言われて読み始めたビジネス書も、
成功した人の人生しか書いてなかった


なんでいつになっても、
引き出しから青いたぬきじゃないロボットが現れないのかも、
追われている謎の少女が突然現れないのかもわからなかった。
主人公要請待ち状態のまま成人式。
早く誰か世界を救ってくれと言いに来てくれないかな。

やるときはやれる子なのに。



馬鹿にしていいよ 誇張表現を含む真実だから



なんでいつになっても主人公になれないのか
考えた。
ひどく真面目に。








そうか、悪がいないのか。
誰か悪になって現れてくれないと指示待ち僕らは動けない
しなきゃいけないことをください、無用途人間。
いや、それでは人任せすぎか。



だったら自分が悪になればいいのか。単純な僕は考えた。
そうしたら、手っ取り早いね
目立つしね。
しね。



その時は、そこでひとしきり盛り上がって、ドメインとって、
あくのそしきムーブメントは一旦自分の中でなりを潜める



それで、
その後色々あって、この辺は共に体験しているはずだから端折るけど、
現在悪なんかいなくても、見えない何かにみんなチクチク攻撃されていて、
やけにストイックなもんだから、世間が悪いんだなんて言う人は殆ど居なくて


多くの人は自分の内部の問題だとおもって、
ひとりで悩んで、ひとりで苦しんで、ひとりで解決したことにして、
人前ではキラキラ笑ったりするわけだけれど、



なにそれ、悲しいじゃない。


人に相談しても、問題なんて全く解決しないし、
逆に結局他人は他人なんだと再確認するようなことしか無いわけで、
たぶんもう癒しじゃ足りなくて、

人が求めているのは直接的な救済だったりするんだろうけれど、
何故か人はそれを人に求めて、その人も神じゃないから、
違う自分の問題を抱えていて、じゃあ、そいつは誰に救ってもらうんだい。
という悲しいループ。



そんな中で自力で救いを見出す方法は、
様々な時間軸で生きているたくさんの人間が存在しているこの世界で、
なんとか自分の中に価値を見つけて、
それを誰かに伝えて評価をもらうことで、

自分の中で喜びとかそういうのを自給自足して
そこに満足するしかない気すらしている。


え、自己満足?やめてうるさいだまってて。



結局なんだかんだいって、

人は人との繋がりの中でしか幸せを見つけられないのか
と悲しい一応の決着。



さっきから、悲しい悲しいってもう悲しいのは結構なんだけれど、
現状そう思わざるをえない、
26歳の実感。



個人的に人生大転換があって、暗転の後に現在の幕開け。
ノストラダムスより2000年問題より、とっても世紀末を感じる今日この頃
2011年なのにね。
字面だけ見たらとってもはじまりそうなのにね。
ごめん、一歩間違えたら終わりそう。



皆様いかがお過ごしでしょうか。
そんな折に あくのそしき という名前でなにやら始めることになりました。
これもなにかの縁でしょうか。もしくは、神様への余興か。



mixiの好きなギャンブルの欄に人生と書いたのがいけなかったのでしょうか、
まさに、博打のような日々を過ごしておりますが、
意外と生きているということは、多分まだ存在していて良いのでしょうね。
そういえば最近私の周りには本当にいい人しかいないんだなと実感しました。
故に、私と知り合ったあなたはいい人です。
大丈夫。騙してない。



あくのそしきと一緒に悪だくみに参加しませんか?
もしくは、正義の味方になって僕を倒しに来ますか?



どっちでもいいよ、なんでもいいから楽しく生きようよ。
つまらないなら、遊ぼう。ボーリングとか苦手だけど。
ひとりで泣いても、誰も見てないよ。残酷だけど真実だから言うよ。
悲しいの嫌。
人生一度。やりたいことやってからしのう。



なんだかんだ言って、僕は人と繋がる手段を探し続けてるだけかもしれない。
以上。最近のヒスイレイ。
http://www.akunososhiki.com/