メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

記念日。

『自分が人にしてほしいと思うことをし、
 自分が人にしてほしくないと思うことをしない。』

これが達成できている状態なら、
自分が一番気に入っているヤツは自分になるってことじゃないか。
と気づいてしまって、走って帰ってきた。



Facebookの9月23日 18:57にも投稿したけれど、
私はこの間、「自分の内なる声が聞こえる」という体験をした。
そして、しばらくそいつの声に従ってみようという約束を自分の中に作った。

そして、その約束を守った。

<たとえば1>
会社で、髪の毛がいい感じでカールしている人を見つけるとそいつは言う。
『どうやったら、そんなに綺麗に髪、巻けるんだろうね?』

私は、そいつの声が聞こえると同時に発声する。
「髪、自分で巻いてるんですか?」

→会話が始まる。

<たとえば2>
街で友人があるお店を見つけて友人が言う。
「肉眼観測所っていうんだ。このお店。」

そいつはそれを聞いて言う
『ほんとだ。なんで肉眼観測所って名前なんだろうね。』

榊も思う。
「ほんとだ。なんで肉眼観測所って名前なんだろう。」

0秒で発声。
「すいません。なんで肉眼観測所っていうお店の名前なんですか?」

→会話が始まる。

<たとえば3>
森の中で迷彩柄のテープを貼った、
普通の3倍くらいの大きさの望遠レンズ付けて、
写真を構えている人が居る。

そいつが言う。
「あの人、

 何の写真を撮っている人なんだろうね。」
『何の写真を撮っているんですか?』

見事。

段々、慣れてきて、
そいつが考えると同時に発声するようになってきた。


そんなことをしていたら、余計にそいつは話してくれるようになった。



「山手線じゃなくて大江戸線にしな。」
→OK。なんでかわからんが遠回りしてみるよ。



「ちがう。そこ右。」
→OK。なんでかわからんが右の方行くね。



「そろそろ、髪のシュシュ緩んでるからとれるよ。」
→OK。今、はずす。

結構、便利。
信頼関係も良好。

わたしは、そいつをしばらく「潜在意識さん」って呼んでた。



楽しくなってきたし、ありがたかったから、
なんか言ってくれる度に、
最初は「ありがとう」って心の中で念じてた。

そして次第に、嬉しさが臨界点を超えてきたので、
「ありがとう」って声に出して言っていた。



変な人っぽいけど、
自分が変な人かもしれないという事実は、
結構昔から知っていることだし、
変な人って思われても、もうどうってことなくなったし、
そもそも町中で人は人のことそんなに関心無いこともわかっているから
気にしなかった。



だからなにかあると、
にこにこしながら「ありがとう」って言ってた。
そいつもまんざらじゃないかんじで、結構嬉しそうだった。

そしたら、ついにそれが起こった。


さあ、ここからが本題。


私はそいつに話しかけた。
「ねえ、ずっとそうやって話してたの?」








(この間、答えはなし)







「もしかして、ずっと一緒にいたの?」








(この間、答えはなし)







「それはそうか。だって君は私だもんね。」
「道理で、私の気を害することもないし、
 心地いい距離感で、
 私の望む言葉遣いで、
 私のことを気遣ってくれるんだね。」




  え。




ここで、事は起こった。
ある事に気づいた。



私は、多分今、
私の理想の自分がするべき行動をしている。
↓ということは
私が、こうしたい。ああしたい。こんな自分は嫌だ。こんな事する人にはなりたくない。
と願った自分と今の自分が重なった。
↓ということは
今や、私は私が願った私だ。



おめでとう。
これは、やばい。

29年ぶりの悲願の達成だ。


そうか。
だから、そいつは多弁に語り始めた。

そいつはそいつじゃなくて、
今や私になった。

これが自信というものなのか。



さて、これからどうなるか楽しみだ。
人間は、維持が苦手な生き物だから、
この状況を続けるには、ここでもう一度決心が必要そうだ。


とりあえずは、この感情を一回 「Ctrl+S」自分の中に保存した。
続きをお楽しみに。