メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

休みの日の最強のレクリエーション。

「今日は、一日お休み。フリー。

 今日は何をして過ごそうか」

 

そんな質問が出たとき、あなたは何を基準にして考える?

 

最近色々活動して疲れたから、

寝てすごそうか?

 

買い物でもいこうかな。夏服、

そんなに持ってないしな。

 

美術館とか、講演会とか、

何か新しいものに触れにいくのもいいかな。

刺激が欲しい。

 

誰かに連絡して、いっしょに過ごしてみようか。

平日だし、この時間じゃ誰もつかまらないかな。

 

 

考えているうちに、時間はどんどん過ぎていく。

 

時間って、残酷だな。

いっそ止まってくれれば、その時間無制限にやりたいことが出来るのに。

 

あ、でも時間が止まった時、

私の時間も一緒に止まってしまったら、

何も出来ないか。

 

なんで時間に限りがあるように感じるんだろう。

 

それは、全ての人間が1日24時間、1週間7日、1年365日の時間軸の上に、

それぞれ、締め切りとか、目標日とかを決めて生きているから。

 

「終電になったら、帰らなきゃいけない。」

「この日までに終わらせないといけない。」

「月末までには支払わないといけない。」

「時が来たら死なないといけない。」

 

そんな切迫感から、いつも時間がないように感じる。

「今、何もしていない」ということに、

罪悪感と虚無感と焦燥感が同時に発生することもある。

 

でも、

逆の見方をするなら、そのタイムリミットの設定のおかげで、

事が進む。

 

限られた時間を大切に。

なにかしらの意味や価値、

楽しみや集中をつくろうとする。

 

全部タイムリミット取っ払っちゃったら、

無限の時間が与えられたら、

人間に死が無かったら、

もっとだらだらするんだろうな。

 

明日でよくないっすかねー。と言いながら、

今心地よいことを優先しながら、時を過ごすはずだ。

 

『この時間の中で、何を決めたいのか』

『この期間に、どうしたいか』

『この人生で何をやり遂げたいのか』

 

『今日、何してすごそうか』

 

期限があることで、考える考える

考えさせられる。

 

「なにかしたい。」という欲求があるのに

「特にしたいことはない」ときの苦しみは人類共通。

 

矛盾したこの狭間にいる時間は絶望的。

希望はどっかにあるんだろうけど、

それがなんだかわからない。まだ。

ああ、もう寝ちゃおうかな。

状態。

 

過去の経験から、適当に思いついた映画を一人で見ても、

後に残るのは、空虚感だということは察しがつく。

 

だから、気が進まない。

 

今日も、この暑い外にでて、

「次は、何しようかな。」の想いに取り憑かれながら、

何人か単位でまとまって笑顔ではしゃぐ、

街中の人の間を彷徨うことは、

避けたい。

 

ヘッドフォンつけて、周囲の音すら遮断したくなるんだろうね。

 

 

おっきい目的が人間には必要だ。

 

なんのために/なんのために/なんのために。

 

目的があって、それに向かう旅路の上で、結果が出たとき、

人は生きている意味を実感し、安定と高揚感が同時に来る。

 

例えば、

風に吹かれて、風を感じて、心地よくなる瞬間。

あなたと話して、心に灯ったなにか小さな感情を感じた瞬間。

 

その瞬間だけでも十分素晴らしいけど、

今日という日の行き先が決まっている状態で、

それが起こっている方が、人間的には安心出来る。

極度に落ちずに済む。

 

「風は気持ちよかったけど、明日はもう暮らすお金がないわ。」

 

それだと、その刹那の昂揚は持続しない。

すぐに現実の重力が、気持ちを引っ張って戻そうとする。

 

人間には時間という軸が有る。

これは、プレゼントだと思う。

 

真実は「今ここ」しかないとしても、

今ここを繋げて、時間を発生させる認識の仕組みを持っている。

 

だから「何をしようか」という問いと課題が生まれる。

「将来、どうしたらいいんだろう」という不安が生まれる。

 

例えば、「なんかしたいー。つまらないー。」

という友人と電話をしているとして、

 

「よしっ、わかった。今から行くわ」

「えっ!?」

 

って、車飛ばしてピンポーン、部屋に押し入って、

「さあ、海行くよ!」

「本当に来た!!('▽'*)

って拉致してみる。

 

日常に、突如現れる、非日常。

「なんかしたい。」と「つまらない。」を同時にクリアする、

救世主ポジション。

 

目的を創って、その旅程/過程を楽しむ。

人間活動の楽しみ方の本質はここに有るんじゃないかな。

 

どこかいくぞ!っていうイベントを発生させて、

そのイベントの中で、起こる会話、出会い、体験、経験を味わって楽しむ。

さっき、そのまま電話切ってたら、全部発生してないことだもんね。

 

でも、帰りの車の中、

外も涼しくなってきて、

星と、月と、高速道路のオレンジ色のライトに照らされながら、

友人は遠い目をしながらこう言うかもしれない。

 

「こんな日が続けばいいのに。

 明日は、仕事かー。」

 

今日は、あくまで突発に起こった非日常で、

明日は日常。

 

日常=つまらない。

こと自体は、今日の享楽を持ってしても、

変わっていない。

 

人間を楽しませ続けるエンターテイナーになりたかったら、

持続的に楽しみと感動を生み出し続けるくらい、

おっきな目標・イベントが必要だ。

 

それを、夢と呼んでもいい。

 

そして、1人だけで抱く夢ではなくて、

多くの人が一緒に、そこに向かえるような夢の方がよりいい。

 

その夢を道具にして、人生を演出する。

 

そこに向かう旅程/過程の中で、

人と出会い、言葉を交わし、悩み、問題を突破して、

多くの感動を生み出していく、

 

多くの人が共通して持てる夢を販売する最強のエンターテイナー。

 

私がいまやっている仕事、

NRグループの活動はそういうお仕事。

 

全人類がキャスト、

 

出演者

 

全人類

 

っていうエンドロールが流れる映画のようなもの。

 

たくさんの人とコラボした作品、

社会であり、時代をつくるというプロジェクト。

 

壮大なこと言っていると思うかもしれないけど、

「なんかしたい。」「人生つまらない」に対する究極のレクリエーション。

本当の意味でのre-creation。再創造。

 

人間をつまらなくさせているその原因を解決しながら、

新しく文明を再創造するという夢を販売する企業。

 

SFじゃ、ラノベ、ゲームの世界じゃなくて、

実際の現実でやっているんだ。

 

一緒にやりたいね。

 

どんな人に会っても、仲間になれちゃうような、

その人を笑顔にしちゃえるような、

そんな仕事をあなたと一緒にやりたい。

http://project.japanmission.jp/

 

あえてエアコンを消した、マンションの部屋の一角より

榊みや子

 

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