capitulo29 今何をしたいのか(1)〜動機善なりや 私心なかりしか
前回の続き。
個人の軸から導き出された最先端の思い、
「国づくりごっこやりたい」とはなにか。
(1)国づくりごっことは
国づくりごっことは、新しい遊び。
現代人の可処分時間(誰もが1日24時間の時間しかないその中で、家事や仕事などの強制的に費やさられる必要時間を除いた、自らの余暇の為に″自由に使える時間″)で消費されるケータイゲームや動画視聴、SNS閲覧に代替されることを目的としたゲームコンテンツ。
どんなゲームなのか。
①伝えたい思いのある仲間を日本中から探して、つながろう。
②2017年6月21日、夏至の日に集まって「国づくりサミット」をしよう。
簡単に書くと決まっていることはこの2つ。
遊び方(参加方法)は3つ。
①プレイヤー(「実際に仲間を探したり、計画をし行動をする人」と「伝えたい思いを持ちつながってくれる人」)として関わる。
②プレイヤーが日々ゲームを進めていく様子をコンテンツとして楽しむ視聴者として関わる。(ゲーム実況をYoutube等で見るような立場)
③クラウドファンディング等で出資し、ゲーム自体が発展する様子を楽しむ投資家・パトロンとして関わる。
ゲーム全体の概要としては、この通り。
何がしたいのか
一見何がしたいかよくわからないこのゲーム。
「つながって国づくりサミットをした後の目的はこれです!」という着地点はあえて定めていない。
つながって国づくりサミットしたら2017年6月21日に何が起こるんだろうか?
という予想できない未知感も、魅力の一端を担うと感じているくらいだ。
未来志向はもう古い。
(一般的な言葉の定義と異なるが、未来のある一点に目標を定め、それを達成しようとするプロジェクトの進め方の意。)
予想可能な目標を立てて、そこからの逆算で物事を進めた場合、目標到達時点で起こるのは達成か、未達成のどちらかだ。
どうしても、当初想定した形が達成することを善とおもいやすく、イメージの更新も行われづらい。
よって、プロジェクトを進める時は、現在思考を採用している。
初期衝動・どんな思いから出発しどの方向へ向かって行きたいのかを設定した上で、常に現在にフォーカスし物事を進めるスタイルのことを指す。
プロジェクトが進行するにつれ、たくさんのアイディアや意見が集まり、当初思い描いていた形とは違う形になっていくことがある。
目標達成型の未来志向の場合、これは達成を脅かす回り道、会議の膨張、メンバーの困惑の原因と定義されかねない。
現在思考では、この場合も、どこから出発しどちらの方向へ行きたいかの軸の延長線上であれば、情報が更新された状態で「今」どうしたいかということにフォーカスして判断を下すことができる。想定を破壊・創造することを繰り返し、最終成果物の形をアップデートしながら物事を進めていくことができる。
現在思考のメリットは、最終成果物が、当初の自分のイメージ「外」のものになっているということだ。
当初の自分では構築できなかったものが、たくさんの人のイメージ・意思と融合し一人では全く想定し得なかった形となり実現する。
これは、一度体験するとやめられなくなる。
話がそれた。戻します。
というわけで、国づくりごっこはシンプルな定義と参加方法のルールのみ設定し、どんな成果物が生まれるかについては手放し状態となっている。
何も目的はないのか。
ただの思いつきなのかというと、そうではない。
このゲームは「個が立つ和の共同体モデルを作りたい」という、
ひとつ手前の行動原理から来ている。
(2)なぜゲームをつくったのか
これまで、出会った人に「何をされているんですか?」と問われた時に、
以下のように自己紹介していた。
・個が立つ和の共同体社会をつくっています。
・世界を更新しています。
・人生をロールプレイングゲームしています。
(参考:自己紹介について過去に書いた記事。この時は、これで満足していた。)
このように答えると、たいてい相手は戸惑う。
人間は、新しい情報が入ってきた時、自分の中にすでにあるイメージとつなげて理解する。
この自己紹介では、どれも何のイメージともつながらない上に、全て抽象的な形の無い概念であるために、膨大な時間をかけて説明してやっと、少しだけイメージしてもらうか、「そうなんですか」で終わるケースが多かった。
事件を起こせ
現実世界において「何かを新しいもの、かつ形の無いもの」を存在させたいと思ったら「事件・コト」を起こすのがいい。
いわゆるイベントというやつだ。
何月何日に、人が集まってこのようなことをやります。
まずは定義し、その曖昧な状態でも共鳴し賛同してくれる人を集めてイベントを開催する。
そして、終わったらアーカイブ(重要記録を保存・活用し、未来に伝達すること)化する。
後から振り返って意味付け・価値付けを行い、存在させる。
どういう意図で、何を行い、何をなし得たか。
あのイベントとは何だったのか。
何を中心とし、人々が集まったのか。
モノづくりならば、モデルを事前に作って誰かに見せることもできるが、
コトづくりは、最初の開催がモデルとなる。
「個が立つ和の共同体をつくっています。」
個が立つ和の共同体ってなに?
それを説明するためのモデルを作りたい。
そのために考案されたのが「国づくりごっこ」だ。
国づくりごっこは、個が立つ和の共同体のモデルとして存在させたいひとつの形なのだ。
社会づくりという表現では、自分の中にあるイメージとつなげて理解する対象でもなければ、興味もわかない人に対して、まずは体感・実感から新しい社会のあり方・その中でのライフスタイルを理解し味わってもらう流れを作る導線でもあり、楽しいという感覚の部分から興味を持ってもらいたいという発信側の願いでもある。
また「遊び」というデザインに内包することによって、既存の体制(政治・経済)に真っ向勝負で挑まないというやわらかい社会改革のスタイルをとりたいという意図もある。
10人未満の人数をもって、正攻法で「新しい社会のご提案です」と叫ぶのはいささか合理的とは言えない。
そういう経緯のため、国づくりごっこについて語るためには、「個が立つ和の共同体社会とはなにか」について語る必要がある。
→次回へ続く