メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

0219|未だ接点は見えない。

偏愛・こだわり・情念・執着・好き、嫌い。

そういった言葉に反応した。

 

近頃、これらに該当するセンサーが反応していないように思う。

人の話をさえぎってまで

名誉のために語らせてくれよというくらい

愛しているものがない。

 

人の話をさえぎってまでするといったら

自分のアイディアや考えの話だったりして、

自分から出てくるものを愛するのはいいけれど

愛の対象物あってこそのこだわりというものが

世界から消え失せるのは

なんだかかなしいとおもって

今この文章を書いている。

 

好きなものはある

好きな音楽も

好きな漫画も

好きな雰囲気も。

 

だけれど、それもまた違う。

愛の対象としては

好きなものがある世界というのは

素敵なことだとは思うのだけれど

愛の対象はいつでもどこにでも

見出せるものの方が

いいと思うのだ。

 

偏愛。

愛してやまないもの。

意地を張ってでもめでたいもの。

それって何だろう。

 

それと同時に、

わたしの研究テーマやステートメントとは何なのだろう。

アーティストステートメント・リサーチクエスト。

 

あの人たちみたいに過去の文献や思想を根拠に

きめ細かな思考を展開するのは、

きっと自分には向いていないのだろうなと思ったうえで

それでも解像度が低いまま

解像度が低いなりに解像度をあげていきたいのだ

 

全てが感覚でもいいじゃない。

感覚の解像度のあげ方だってあるはずだ。

 

ここまでの問いは2つ。

 

一つはわたしの偏愛とは何か。

もう一つは、わたしのアーティストステートメント・リサーチクエストとは何か。

簡単に言うと、私のアーティストとしてのテーマはなんやねんという話だ。

 

偏愛。

それは狂気に近い何かだろうか。

きらめきを発掘したときはその美しさに見とれる。

きらめきとは人。

だけどそれはごくまれで、

どうせ見つけた人は、早いか遅いかの差だけで、

皆から認められ、その人の考えが世の中のあたりまえになっていくから

そのフェーズにおいてはもう、そんなにきらめかない。

 

狂気。

何を狂気と感じているのだろうか。

闇ではない。

負でもない。

ズレ感?

 

それを作っているかというと

作っているものと狂気は直接関係ないように見えるな。

ほっていったらどこかで合流するのかしら。

 

作っているものは、外から見るのと内から発信するので

だいぶ評価の変わるものをよく作るな。

内からだけで考えると何を作っているのだろうか。

セーブポイント、レットゴー。

こうなるはずじゃない。できないと思ってるけどさ。

っていうのが強いな。

 

だが、今できないと思っていることないから

そのモチベーションで動くことはできないのか。

 

空想の中に

理想像が浮かんでそうなっていない時に

無理やりその形に持っていこうとするのが

好きなんだよな

 

どうせなっちゃうし。

 

では、今必要なのは、さらに欲を出すことか。

それと、作りたいものと偏愛とステートメント

 

ここまでをまとめると

いやまだまとまらないな。

もう少し材料が出しが必要。

 

作りたいものは、今特にない。

いつも基本ない。

誰かの話を聞いて閃いて、提案して

それをやっているというのが基本活動。

自分から作りたいものを出したことあるかな。

完全自発ってそもそも人間あり得るのかしら。

そったく同時じゃないのかねそこは。

 

外からの刺激と中からの欲望5050で

生まれる的な。

 

今外からの刺激ってなんだか来ているかな。

メッセージ。

狂気?偏愛?twiter見てても面白くない?

お告げ。

風が吹くときにだけ吹く。

 

中からのキーワード、狂気。

 

作りたいものなし。

 

未だ接点は見えない。

しばらく問答を続ける。

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