メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

第2章:新時代の生き方の準備をはじめる

2019年のスタイルを作ろうとしている

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探り探りはじめている。

2019年のスタイルを作ろうとしている。

 

なんでもはじめるときはいつも

同じような手応えで

イメージとしてはこれから自分がやっていくことが見えている。

 

書こうと思ったら文章にできるくらい

・これから何を、どのように、やっていきたいのか

・それは他のものとどのように違うのか

こういうことは言語化できていることもある。

 

だけど、この最初の探り探り期間は

なぜか、あからさまに

考えを

言語にして

構成した

記事を書こうという気が起きない。

 

わかっているんだけど

出し惜しみをしている。

そんな感覚。

 

出し惜しみをしているのは他人に対してじゃなくて

自分に対して出し惜しんでいる感覚になる。

 

言葉にしたくない。説明したくない。

それらをした瞬間にこのイメージが変質していってしまいそうで。

 

 

特に今回はチャレンジなんだ。

 

わかりやすいように書こうと思えば

これまでの経験の積み重ねで多分できてしまう。

 

だけど

わかりやすくするというのは

いいことばかりではないと知っている。

 

わかりやすくしようとすると

どんな人でもわかる最大公約数的な言葉を探して、

共感を持てるような表現に寄せようという意識が

自動的に発揮されてしまう。

 

そうすると

時たま自分で書いている文章に

自分が影響されちゃうことがある。

 

一回文章を書いたくらいじゃ

そこまで影響されないのだけれど、

 

二回三回と書いているうちに

わかりやすさと最大公約的な表現に

自分の想像力側が引っ張られていく感じがする。

 

型にはまる。つまらないものになる。

 

もっと変な形をしていたはずなのに

いつの間にかみんなが理解できる形になっているぜ。

 

元々丸を描いていたわけじゃなくて

いびつな楕円形のような

「0」のような絵を描いていたはずだったのになぁ 

 

となることがある。

 

今年はそれをやめたい。

だから、今日のブログも

あえてあんまりわかりやすく構成していない。

 

思ったことを思ったまま書く実験をしている。

そのかわり、毎日書こうと思っている。

物量作戦。

 

朝は音声でラジオの形で発信して


夜寝る前にブログを書こうかなと思っている。

 

ちなみに2019年に作りたいスタイルが

「朝ラジオをとって夜ブログを書くこと」ではないよ。

 

本質の話はまだ全然していないんだ。

 

ここまでで言いたいことは、

 

・2019年は新しいスタイルを作ろうとしているよ、ということ。

 

・わかりやすく書こうとすると思ったままの表現でなくなることがあるから、わかりやすく書こうとするのをやめているよ、ということ。

 

・朝は音声、夜は文章で発信をすることに決めたけど、それはやりたい『新しいスタイル』の一部の話であって、新しいスタイルについての説明ではないよ、ということ。

 

誰にも頼まれていないという強さ

こんな感じのブログを夜寝る前に毎晩書こうなんて

初期設定としてハードルが高い気もしてきた。

 

だけど、この積み重ねは

これからの時代に

とっても必要なこと

だと思うからはじめてみるよ。

 

新しいことをはじめるときは

いつだって手探りで

一番はじめは自分にも相手にも

なにをやっているかわからないように

うつることもあるもんね。

 

やっている人が何をしようとしているかわかっていれば大丈夫。

いつかは誰かに何をしているのか見せることができるようになる。

 

そもそもわたしが焦る必要は

どこにもないんだ。

 

だって、だれかに

おしえて、とか

説明して、とか

やってください、とか言われて

これをやろうとしているわけじゃない。

 

勝手にやっているだけなんだから。

 

だから、自分が「これだ」と

その時その時思う方法で

やったらいいんだよ。

 

だから、毎日すこしずつ話させてね。

あなたにだけ届けばいいと思って書いているから。

 

今日はここまで。

 

新しいスタイルって何かって

簡単に言うと

『勝手にやる』ということだよ。

 

この言葉には色々な意味が込められているんだ。

だから、また話すね。

おやすみ。

第1章

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やっと。やっとだ。

2019年になったら書こうと思っていた。

何度か書こうと思ったこともあるけれど

途中からそうするしかないとすら思っていた。

 

ルールが変わるぞ。

今までが通用しなくなる。

 

思いのまま書く。それだけだ

それだけに集中しよう。

 

 

 

生き方について考えているリソースを感じることにまわす_00

これからいろいろ投稿するにあたっての今の気持ち

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 またいろいろ思いついちゃったので、

とりあえずここに書き連ねておいて、

後から見返してまとめるか、

必要な時が来たら細切れにして使おうと思う。

 

生き方について考えている時間って生活の中でどのくらいの配分?

わたしはこれまで、起きている時間の半分は生き方について考えていたよ。

 

人間マニアだからしょうがないよね。

 

生き方っていうと抽象的すぎるから、

もう少し具体的にいうならば、

 

・精神的なコンディションを万全にしておくためには、何種類のバリエーションのモードに意識的にシフトできるようにすればいいのか

・わたしは何に向かっていて、今どの段階にいるんだろう

 

とか、こういうのを考えて、はっきりさせて、言葉にして、確認して、

実際に日々の暮らしの中でどういう時間を定期的にとったらいいのかとか、

まるでジムのメニューみたいにストイックに計画と実行をしていた。

 

ここ1ヶ月くらい、特によくやってた。

セーブポイントがひと段落して、人が来なくなったから、

じっくり自分に目を向ける時間がとれたんだと思う。

 

うまい具合にこういうタイミングが来るのって嬉しいよね。

順番やタイミングとかうまくできてるなぁっていうことに遭遇すると、

大きな流れにちゃんと乗れているな、よしよしって満足する。

 

そんな感じで「生き方」について結構一日のエネルギーの多くを注いでいたんだけれど、そろそろ節電したいなっていう気になってきた。

 

節電したい

起きている間にしていることについて計画的に考える時、

電力供給みたいなイメージがある。

 

エネルギーってよく言うけど、言い換えれば気力、やる気。

なんでもいい。

何かをするためにそこに意識を向けるときに使うやつ。

集中してやりきった後に

「あー疲れたー」ってなった時に使ったやつのことを指している。

 

無意識側には制限のないエネルギーがあると思っている。

そして、意識側は1日24時間という世界の中で、人間という機能を使ってあれこれするので、ある程度電力(エネルギーのことを電気にたとえている)量は限られてくる。

 

きっと、頭の使い方や意識のトレーニングで

起きている間にどれだけのことに注力して力を入れてできるか

っていうのは変わってくると思う。

 

人によって契約ワット数が違うみたいな感じで。

そして、キャパを超えるとブレーカーが落ちる。

 

そんな感じで、電力量が限られているから、テーマを制限する必要がある。

一度にあれもこれも考えたり意識したりやろうとすると、キャパを超える。

 

だから、賢い方法は、

テーマを決めて意識を向けていろいろ作業して、

納得したり、答えが出たら、

それを習慣化することに電力を使って、

あたりまえにして、無意識でできるようにしちゃう。

 

そうすると、そのテーマについてはもう

意識側の電力使わなくていいから、電気が余る。

 

すると次のテーマについて作業ができる。

こんな感じで順番に、自分の意識プログラムを改変していける。

 

無意識の海に沈んでいたテーマを意識の舞台に引っ張り出してきて、

改変して、また無意識の海に沈める。

 

そんなことを繰り返してきた。

 

なんで、改変が必要かというと、

思考は意外と歴史に毒されているから。

 

本当はなんでもできるはずなのに

何年か前まで、なぜか人間なんでもはできないような気がしちゃってた。

 

なんでだろうって考えたら、

みんなそんな感じのことと思っているし、言っているからだなって思った。

 

これは、これまで人類がそういうもんだと定義付けてきた集大成の初期設定であって、今わたしが生きるのには必要なさそうだったから、

初期設定の改変が必要だなと感じた。

 

それからどんな感じの初期設定にしたらいいかな~?

って研究して実験してた。

そして、一個答えが出たからいままとめてかこうとおもっている。

 

さて、要点をまとめます。

 

人生ゲームを明確に。

ルールと遊び方を明確に。

生き方についてあれこれ思いついた順に非効率的に考えるのをやめよう。

 

これって、他の人にもあてはまるのかな。

それともにひとりひとり違うのかしら。

 

まだそのあたりがよく見えてないから

書いていくことで見えてくるものもあるかなと思って書いてみる。

第十七夜(完)→時代を作ろうとするのは一旦終わり

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本日でくるっと転換します。

 

なので、Myth/國/時代という作品をつくるカテゴリーの記事は今回で完結。

hisui0.hatenablog.com

 

なんだかすっかり

「生きる」ということに対するルールが変わってしまって

今面白い感じになっています。

 

人生に第1期・第2期・第3期と

そういう節目があるのなら

第3期が始まるんだと思う。

 

第2期はとりあえずつくった。

1年間作りまくっていた。

 

「未知を道にするとはどういうことか」

自転車に乗れない人が

乗れるようになるように

練習して 慣れて

無意識でも乗りこなせるように

頑張ってきた1年間っていう感じ。

 

実現していないものを実現させるためには何をしたらよいのか

わかったし

コツも覚えた。

多分これでなんでも形にできる。

 

第1期が長すぎて

それまでに「人間ってこういうものでしょ」って

ずっとおもいこんでいた枠から

脱するのに一生懸命だったのが第2期っていうイメージ。

 

想像力で世界を操れるように 彩れるようになるのを目的に

頑張ってきたよ。

 

第2期はタフになるためにひたすら頑張ってきた時代という感じ。

作ろうとしたし 作りたいものを設定した

目的がないと 研鑽を積むきっかけがないから

常になにか「するべきこと」をつくろうとしてた。

 

なにもすることがないことが

まだ不安だったんだと思う。

 

そして

ようやく

第2期の最後になって

「今」に集中することができた。

 

想像力でなんでもつくるんだけれど

未来を想像するのをカットするというのが

最後まで難しかった。

 

過去想像は結構早めにカットできるようになったんだけど

未来を想像しちゃう癖が抜けなくて

最後まで苦労した。

 

その結果

今は過去と未来のない

今にいることができるようになった。

 

未来の重さがなくなった。

思ったことはなんでも叶うし

形や存在を作れることもわかった。

 

満足。

 

今は、こうして台風の去った後

カーテンを閉めた部屋でゆっくり音楽を聴きながら

文章を紡いでいるひとときが十分楽しい。

 

時代を作ろうとするのは一旦終わり。

1年間動き回ったよ。おつかれさま。

 

一旦観測者に戻る。

 

一旦一旦言っているのは

また作りたくなった頃に作り始めちゃうと思うから。

 

また誰かが私の手を必要とした時に

作るよ。

第十六夜→情報に疲れてしまったときは 

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風邪をひいたらしい。

 

体がぼわーっと温かくて、

動き出そうとすると、いつも以上にあちこちに負担がかかる感じ。

 

こんな状態だからかもしれないけれど

いつも以上にネットに見たい情報がない。

 

だれかの発信も、ニュースも、お役立ち情報も

ピンと来ない。

 

生の感じの発信に出会いたくて探すんだけれど

なんというか、みんなお行儀がよく見えちゃう。

 

ノートの走り書きみたいな、自分しか見ない日記みたいな

そういう思いと出会いたいんだよな。

 

そうおもいながら、自分が書いているこの記事も

情報の海に溶けて流れていくんだろう。

 

書きたい人がいるということは、見たい人がいるということなんだ。

そうしないと世界のバランスが崩れちゃう。

 

そろそろいろんなこと飽きちゃったので、

がさっと捨てようと思う。

 

方向転換だ。

 

いい時に風邪が来たなぁと思う。

第十五夜→人との会話とは頭の中に響く僕の声との対話か

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コミュニケーションを進化させていくのが好きだ。

何に重点を置いて 人と会話したら

より素敵な会話の時間が楽しめるだろうか。

 

これを常に発見したくてたまらない。

 

今夜の発見&アップデートがあったのだが

今回のはだいぶ面白い。

 

一回発見してしてしまえば

あとは使えそうだったら それに慣れて

意図的になにかに気をつけようとしなくても

あたりまえに その会話ができてしまうように 修練すればいい。

 

そう考えると

アスリートみたいに人生を生きているのが好きなんだと思う。

 

常にステップアップと

基礎能力の維持と

柔軟運動をして

万全の体に!

みたいな生き方が好き。

 

今日の新しいバージョンの会話は『相手の話を聞くときに、頭の中で一人で会議している時と同じモードで臨んでみる』というもの。

 

 

 

自分のとの会話の時間を

意識的に日常生活の中で取るようにしていた。

 

日々の生活の流れにのっているときは

取りこぼしてしまった

 

自分が本当に思いたかったこと

違和感を感じたこと

いろんな人の話を聞いた後に

結局それらを聞いたうえで

自分の結論としてはどうなったの?

 

というのをまとめたりという

自分に質問しながら自分で答えていく時間。

 

色々ごちゃごちゃと考え中のままだと

エネルギーの無駄な消費が

勿体無いなと思って

そんな時間を取るようにしていた。

 

その時間では

問いかける自分と答える自分がいる。

 

そのやりとりをそのまま

自分以外の人と話すときにも使ってみたら

結構新感覚のコミュニケーションができて

はまった。

 

 

『これ、結構面白い。』

 

まず、

いつもは誰かの意見だと思って

聞いている意見を

自分が思い浮かんだことだって思って受けとるから

相手の話がすんなり受け入れられる。

 

受け入れるという作業もいらないくらい

会話の概念が変わる。

 

相手の話をきく=その言葉をイメージする

という行為になる

 

そして よくわからないところや、

それはどうかな?

とひっかかる部分は

 

対象としての相手に質問するのではなくて

一人で考えている時に自問自答するのと同じ形で

疑問に思って 

深めようとするから

 

自ずと

一緒にお互いの『今思っていること』を

探っていく流れの会話になる。

 

この感覚はねー

なかなか言葉で伝えたづらいんだけど

かなり面白い。

早く繰り返しやってマスターしたい。

無意識にやれるようになりたい。

 

 

 

相手と自分の境目がなくなって

まろやかなコミュニケーションがとれるので面白い。

 

そして発言するときは

思いやイメージを音や体に乗せるように話す。

 

私は聞くことより

こっちの方がまだまだ

意図的にやらないと慣れないみたい。

 

問題解決脳だから

会話そのものを楽しむことを忘れて

考えの応酬のような会話になりがちだから

バランスを取りたい。

 

そんな感じで新しいコミュニケーション方法を編み出した。

しばらくはこれでいこう。

第十四夜→頼むからみんな素直に生きてくれ 私も素直に生きるから

これは 理想ではなくて 達成された今と定義する。

 

人々はみんな自分の素直な思いを感じている。

そして それを尊重している。

そして それを素直に表現することができる。

 

他人と自分は違う信念や感性を持っていることを知っている。

意見が違うのは当たり前と知っている。

他人の意見は自分の意見を脅かすことなく 新たな刺激としてインスピレーションとなる。

 

一つずつ積み重ねてきた 思いの結果として

お互いの意見が場に出され それを鑑賞し合う。

それが 会話である。

 

万人に共通する正しさはないが

それぞれ今思っていることは

その人にとっての正しさである。

 

私はこう思うと表現する

相手も私はこう思うと表現する

 

本音と本音がひびきあい影響し合う。

 

会話の目的は課題解決と共有のどちらかになる。

 

人々は皆素直で朗らかである。

 

わたしはそんな世界に住むことにした。