メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

hand of fate

探しても見つからないわけがわかった

耳をすませても聞こえないわけがわかった

 

「関係ない」がキーワード

 

久しぶりだな

なんでこんなに執着してくるんだろうと

思っていたよ

 

大抵のことは漂白できちゃうのに

呪いみたいに

ずっと心臓のあたりに

もやもやと

滞在していた気掛かり

 

こちらがどうにかしようとするまで

居座ってまで

どうしたいんだろうと思ってたけど

 

見切りをつけるまで

やめねえぞという

そういうことだったのかと

解釈した

 

いろいろなものを切ったり

離れたり

送り出したり

したけど

 

いつも助言者がいてくれて

安心だったのにな

 

今回はそれごと

さようならか

 

さよなら人新世.

もうそっちでやることはないみたい

 

さよなら古代文明.

関係ないを選択してみるよ。

 

本当に真っ闇だな

次の目標が見えて

こちらとしてはスッキリしたけどね。

 

ETA-7|9月7日の19時よりカイワトケシキやります。

9月5日より行われる1週間のグループ展、

『生命が美しいとしたら、それは何故か』に出展いたします。

www.nigebar.com

 

会期中、日替わりで出展作家による「体験」作品があります。

わたしは9月7日19時~『カイワトケシキ』を行います。

参加費は1500円、定員は3名です。

 

その時間は、

ただ居るだけと言えるかもしれません。

ただ話すだけと言えるかもしれません。

 

時期が近くなりましたら解説をいたしますので、

気になる方は予定をあけておいてくださいませ。

 

 

この時間が必要な人がいる気がしています。

 

今はそこにめがけて灯台を照らしています。

 

詳細はこちらから。

https://life-exhibition.peatix.com/

 

生命が美しいとしたら、それは何故か。

開始まであと7日です。

ETA-8 |聞き飽きたであろうことをまたしても

9月5日より行われる1週間のグループ展、

 

『生命が美しいとしたら、それは何故か』に出展いたします。

www.nigebar.com

 

さて、明日でちょうど一週間前。

このカウントダウンを兼ねて毎日投稿するというのは、

誰に要請されたわけでもないのに、リズムをつくるためにどうしてもやってしまう。

 

もっと話すべきはあるだろうに。

鑑賞しやすい導線を。

押し付けすぎない解説を。

 

そういうことをした方が良いと頭ではわかっているのに、

どうしてもだらだらと踊り場のように書いてしまう。

 

今日は何を書こうか。

 

同期と非同期。

アインシュタインは問題を作り出したのと同じ次元では問題を解決することはできないといったとか言わないとか。

これは皆が言ってほしかった言葉であって本人とは離れたところにいる言葉なのだろうか。

 

非同期、アンシンクロナイズドハッピー。

そんなことを考えていたこともあったな。

 

一見、永遠の片思い一方通行に見えるような

思いのベクトルが重なり合ってこの世界はできてる。

 

混ざりあってる?

そんなの嘘だね。

 

指先ひとつも触れられないよ。

隣の世界、誰かの宇宙。

 

薄い壁に覆われた透明な閉鎖宇宙。

それらが同居する不思議な舞台。

 

最初から最後まで映画を見ている観客は一人しかいない、

プロジェクションマッピング型のこの宇宙。

 

投影してるのは全部自分だ。

 

美しいと感じるとき、あなたの身体ではどんな物質が放出されているんだろうか。

カクテルみたいに一人一人違うのだろうか。

 

飲んでみたいな、その美しさ。

 

 

 

 

ETA-9 |ソルヴェイグの歌がずっと鳴っている

9月5日より行われる1週間のグループ展、

『生命が美しいとしたら、それは何故か』に出展いたします。

www.nigebar.com

きてね。

 

先日出向いたコンサートのアンコールにて演奏された

ソルヴェイグの歌」が頭から離れない。

 

速度を落とすと、流れているものに気付いてしまう。

それは川の流れの只中に足を浸したときのような感覚。

 

畏れなく無邪気なままに足元に狎れ合ってくる、

喜びや悲しみや怒りや期待や失望や嫉妬や諦めや不安や

誰も気づいていないその重力。

 

次々現れては自由気ままに

バイバイも言わずにどこかに去ってゆく。

 

その様々はわずかに触れただけで

ミラーニューロンを刺激して

質量をもたらしてくる厄介で愛おしい存在。

 

感情と呼ばれる人間色したエネルギーの洪水。

 

受け止めきれなくなって、正気ではいられなくなりそうになって、

川の流れに沿って歩き出す。

 

わかったよ、わかったから。

 

知ってる、知ってるよ。ずっと前から。

 

初心は忘れられないままずっとここにあるんだ。

軽視したっていいだろ。

 

今更それを説かれたって、

何も知らないふりして感心してみてもいいだろ。

 

たまには馴れ合いたいんだ。

会話のルールに従って、このゲームを楽しみたいときもある。

 

わかったからさ、

あなたが悲しむ前に

ちょっと黙って探しに行かなくちゃならない。

 

見つかったら迎えに行くつもり。

気づかれないくらいの速度で、

不在には気づかせないように

巧妙に。

 

一番大切な君を大切にするには、

君と違うままでいなくちゃいけないし、

 

わかるわからないの論議の向こうで、

信じたことをするしかないね。

 

 

拝啓、宇宙さま。

お慕い申し上げております。

 

 

 

ETA-10|宇宙を脱出する前にやっておかないといけないことがある

9月5日より行われる1週間のグループ展、

『生命が美しいとしたら、それは何故か』に出展いたします。

www.nigebar.com

 

わたしのやりたいことの一つに、「弊宇宙と一緒にこの宇宙を出る。」

ということがあるのだけれど、

その前にやっておくことがあるよな、と最近。

 

 

信じて信じて、疑って疑って

どうでもよくなって。

 

溶けて溶けて、溶け切らなくて

形に戻ってくる。

 

この宇宙は生命型。

形を選択したのに端っこと端っこをくっつけちゃった。

 

おわりははじまりに。

生は滅に。

春は冬に。

 

接続して滑らかに流れる。

 

円環しながら美の方向へ渦を巻く。

 

それそのものを何と呼ぶ。

 

この感嘆を美しいとでもspellしようか。

 

中にいては鑑賞できないよ。

外から愛でよう。

めでたやめでた。

 

そして、宇宙が再び閉じてしまう前に、

目を盗んで隙間から外へ。

 

そこはきっと「外」という概念のふさわしくない

ふしぎ。

ETA-11|この一番左のやつは生命。

9月5日より行われる1週間のグループ展、

『生命が美しいとしたら、それは何故か』に出展いたします。

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広がりに広がったやりたいことの発散がひと段落して、あとは引き算、ミニマリストになっていくフェーズに入った気がする。

 

とはいえ、一度見てしまった大掛かりな作品はきっとこれから何年かの間に改宗していくんだろう。

今回は茶室の窓くらいのサイズにギュッと納められたらいいなと思っている。

 

見えないもの、触れないもの、概念としての境界線。

 

目を開いているのに見ていないという。

目を閉じても同じものが見えるという。

 

自分の居場所を知るには、外に出ないとだめだという。

外を知って中とは何だったのか規定できる。

 

生命を知るには生命の外に出ないとだめだ。

だけれどそれはこの宇宙の中では実現しえない。

 

なぜなら、この宇宙が生命だからだ。

目の前に3つ宇宙的なものが並んでいるとして、

一番左のそれを指さしてわたしは言う。

 

これは生命。生命型のやつ。

 

そういうことだとおもう。

===

 

毎日、ひとつづつイメージを形にすることにした。

これは昨日のもの。

今日もまた新しいの書くよ。

 

それではまた。

ETA-12|拾二もあったら時計も一周するからね

9月5日より行われる1週間のグループ展、

『生命が美しいとしたら、それは何故か』に出展いたします。

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お久しぶり。あと12日だってさ。

グループ展に出展する作品について書いていこうかなと思って、久しぶりにこのページをひらいた。

 

とはいえ今日は宣言だけ。

何から書き始めたらいいか全然まとまらない。

あと11回この画面を開いたらどこまでたどりつくんだろう。

 

ちょっとそこまで、ほんのすこしだけでいいから、つき合ってよ。

よろしく.