メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

第六話→行為そのものを味わう

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三日坊主しようと思ったら 早速1日空いちゃった。

冒頭の書き出しから いつもは「、」を打つところに「、」を打たなかったら なんだかいつもと見栄えが違うことに気がついた。

 

読み返した時の 感じも違うなぁ

 

「。」も打たなかったら どうなるだろう

 

 

 

何かが完結せずに 空間に放たれていく感じがするなぁ

 

 

 

今日はこれでいってみよ

 

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昨日野菜を焼く時に 革命を起こしてみたのだ

 

私はいつも料理しないから

食べたい→食べに行く→オーダー→食べる

というのが スムーズなご飯にありつくまでの流れなのです

 

だから 自分でご飯を作ろうとすると 

食べたい→作りに行く→オーダー→つくる→食べる

つくる が邪魔で邪魔で仕方がない

 

いつもは その工程ないから 基本的に作っている間はロスタイムというか

あってはならない時間というか

邪魔な時間であって 本当だったら すっとばしたい 1秒で終わらせたい

 

そんな感じだったのだ

 

 

 

そこで思ったよ

 

 

 

まだ 時間という感覚が 自分に残っているのだなぁと

人間が のんびり 今に集中して 過ごせるようになるためには

時間という感覚を どっかにやっちゃわないと難しい

 

時間は 締め切りとも言えるし 約束ともいえる

それのおかげで、人はさあやるぞって 行動できるから 悪いやつじゃないんだけど

 

時間が 意識の中にあると セットで 達成とか完了に追われることになる。

 

ご飯作るのも 何時間かかってもいいやって思えたら 早く終わらせようっていう意識すら出ないはずだもん。

 

時間をなくすには 達成 完了 を目的にしない過ごし方をすれば良いのか

 

 

 

じゃあ、何でエモーションを感じようか。

 

って思った時に、行為そのものだなって思った

 

今だって ブログを書ききって 公開することを 目的にしたら 書いている途中思うことは 早く書きあげたいな とか うまく説明できているだろうか とかになるけど

 

ブログを書いている行為自体を楽しもうっていう意識になれたら 今が楽しいから 今に没頭できるよね

 

そんな感じで生きてみよ

 

そうおもって 野菜を焼く行為に楽しみを感じられる丁寧さで焼いてみた

 

なんだかおもしろかった

 

 

 

今当たり前とされていないところに 自分のお気に入りのライフサイクルを見出すのが趣味

 

全員が宣言や広告をしだしたら世の中は 疲れちゃう

 

発信は掲示板に貼っておくくらいでちょうどいいって最近思うよ