メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

1年前のあなたは、今日の君を見てなんて言ってる?

まだ見たことのない自分のファンになる。


あー、今年は死に切ったーー!!




2016年1月1日。1年前。

私は契約社員としてコールセンターに出勤してた。


お正月なんて、みんなシフト入れたがらないから「いいですよ。」って言って1日仕事してた。


ほぼそこに居るだけの1日だった気がする。


会社っていうシステムの末端に居るというポジションは、

非常に効率が良くて、


特にコールセンターなんて、

その中でも1番win-winで、


サービスを提供する会社としては、

「いつでも受け付けますよ」って、

そういう形をお客様に見せたい。


だから

「その時間、何人待機している」

ということに対して、お金を支払う。


雇われてる側は、

自分の時間を売って、お金を頂く。

一生懸命やろうが、さぼろうが、

関係ない。


居てくれれば、いい。

居れば私の1時間は1800円くらいに換金される。


チャリーン。



そのシステムは、

さながら、和菓子屋さんのショーケースに並んだ和菓子のようだと思った。


並んでいることが大切。

売れない草餅くんもいるけど、

お店やってますよって、お客様に感じていただけることが大切なんだ。


でもさ、






私は、和菓子じゃねぇよ。

和菓子人生は嫌だ。





そう思って、

2月でその仕事を辞めた。


その仕事には、すごく感謝していて、またその話はいつか書くけれど、


会社というすでにある枠組みの中で、すでにある業務に最善を尽くしても、何も変わらないんだなって、実感した。




「一人一人の個性を生かして」


なんて言ってられない。

暇がない。


利益を上げるには人件費を下げる。

効率的に。合理的に。

こちらの望み通り動かない人は要らない。


その土台の上で動く限り、

私の作りたい世界は創れない。


だから自分でつくることにした。


そんな2016年。




1年あれば人生は大きく変わる。


仲間ができて、

つくりたいものがわかって、

やり方がわかった。


あそびたいあそびたいあそびたい

遊んで人生暮らしたい。

そう願った結果、その通りになった。


文化祭準備期間みたいに、

毎日真剣に遊んで過ごしてる。


上等だ。


後は繰り返せばいい。


2016年は死に切る年と決めていた。


自分の想像の範囲のこと全部出し切ってやろうと思った。


願い通り、事件だらけの一年が生まれ、飽きることなんてなかった。



動いた分、結果は返ってくる。


2017年は遊び切る年にしたい。


泥だらけになって、駆け足でニコニコ家のドア開けて、

あらあら、大変。っていうお母さんに矢継ぎ早に、

今日はね、今日はね!って、本日の仲間との冒険譚を自慢して喋りたい。


そんな感じがいい。

嘘なく笑える毎日がいい。

そのためには「ぬああああ!もう!なんだよ、畜生。」っていう日があるのもおもしろい。


ありがとう。2016年。

君の背中はとても気持ちがよかったよ。

1年間安心して過ごせた。


さようなら。もう二度と会えないね。

たくさん遊んだから、忘れないよ。

2016年という年のことを。




Ctrl+S



そっとセーブして、2017年に行きます。


2016年1月1日の私は、今日の私に拍手をくれるだろう。


おもしろいじゃん、君。

なかなかいいね。


ありがとうございます。



そしたら今度は、私の番だ。

2017年12月31日の私に期待しよう。


まだ見たことのない自分のファンになるということ。


ちょっとくらいプレッシャーかけといた方が、きっと頑張ろうとするだろうから。






今年をつくった全ての思いに敬意と感謝を。

出会ってくれてありがとう。


良いお年を。


J humind association

榊 みや子

動揺したい

個性の純粋さ。

全てを起こるに任せる。

マイノリティーという個性の開花。

この一点が自分ということ。


昨日いただいたイメージ。



人と話している時、

今まで感じたことないイメージが立ち上がる瞬間がある。


いわゆる「気づく」という体験。


この瞬間に心に起こる感覚がたまらなく好きだ。


快楽と言っていいくらいの心震える感じ。


人の話を聞くときに使う感覚を変えたら、

この気づきの快感に遭遇する機会が格段と増えた。


何を変えたかというと、

それは


「ゼロになって聞くということ」


誰かが話している時は、

一回、自分の正しさを手放して、

ぶわーんって海みたいに溶けて、

相手の話に入り込んでみる。


正しいも:間違ってるも、

わたしの意見と

同じ:違うも飛び越えて、

ただ相手の意見に入り込む。


そもそもこの世界には、絶対的な正しさなんてないんだから。


相手を正したり、自分が間違ってるなんて感じなくていい。


どこからその発想が出てきたのか、どういう背景でその思いが紡がれたのか、

ただそれをそれとして受け取ることに専念して相手と一体化する。


自分の外ではなくて、自分の意識が相手の意見そのものになっちゃったくらいにいろいろ手放して聞く。


その瞬間、わたしの意識は素材になる。


相手と自分の境界線は消える。

ただ、そこに場があるだけ。

2人は分離して存在しない。

一点に向かって、意見を生み出す2つの間があるだけ。


この感覚気持ちいい。


意見出して、そのイメージに触発されて、次のイメージが生まれて、

ずっとそれの繰り返し。


この感覚一度体験すると、

人と話すのはもっと楽しくなる。




戦わなくていい、

守らなくていい、

説得しなくていい、

従わなくていい。


誰かがふと口にしたひと言で、

「... ! 」

何かはっとするものがある。


それは、もともと自分の中にあったから「わかる」もの。


今まで自分の想像の世界になかったものが、生まれる。


そして、その瞬間から、

新しく生まれたイメージはわたしの一部になる。

仲間がふえる。


昨日はじめての「エンカウント!」

すごくおもしろかった。


ただ人が出会って、話す。

それだけ。




動揺したい。

自分の殻を割って、

いつでもゼリーみたいなゆるゆるな存在でいたい。


影響し、影響されたい。


それだけで人生が動く音がする。


今までのあたりまえが更新されて、新しいわたしに生まれ変わる。


わたしの範囲が広がる感じ。


是非体験してほしい。

一緒に、体験したい。


エンカウント

近いうちにまたやります!


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エンカウントという遊びをはじめます。

今日(12/29)の23:00~0:00

実験会やります。

Facebookやってて、夜更かしな人は

オンラインでご自宅から参加くださいませ。

 詳細はこちら→【実験】エンカウント!~ただ人と話すだけの1時間

 

言葉にすることで、自分ではじめて気づくことがある。

予想外の意見をもらって、膨らむ考えがある。

 

エンカウント

 

それは「人とただちょっと話す」というゲーム。

ちょっと、エンカウントしませんか?

 

hisui0.hatenablog.com

前回村をつくりたい、と書いた内容とも繋がるのですが、
以下、エンカウントという遊びを思い付いたきっかけについて。

 


移動中にLINEグループ通話でオンライン会議をしていて
ふと思った。


電車のドア、 プシャー って開いて、
ホームに降りる。

 

『あ、会議の時間になった』って気づいて、
イヤホン耳に押し込んで、
グループ通話開始ボタンを押す。


私は、駅の階段登ってる最中なのに、5人そろって会議がはじまる。

 

東京、大阪、福岡、神奈川...
参加者はみんな別の場所にいて、

 

後ろで子供の声聞こえてたり
コンビニの袋から、なんかとりだす音したり
救急車が信号を通過するアナウンスが、ときたま耳に入ってくる。

 

「人が集まって話すのに、場所は関係ないんだ。」

 

 

突然、その考えが現れた。(いまさらですが)

 

 

じゃあ、聞くけど(自己問答)

 

 

今私たちはどこに「集まって」るんだ?

 


会議の内容そっちのけで、次の問いが現れた。

 


どこ?

 

不思議な感覚。

場所をはっきり言えないけど、
確かにどこかに集まってる。

 


見えないけど有る、集合場所。

 


<仮想空間。仮想都市。仮想会議室。>

 


そんなイメージが連鎖した。

 


そうか。

AR(拡張現実)とかVR(仮想現実)という単語
最近よく聞くけど、
もう、私たち無意識にその世界に住んでるんだ。

 

電話の時代からもうすでに。
振り返ってみればそうだったんだ。

 


私たちは、現実世界と仮想世界、
どっちも行ったり来たりしながら毎日を過ごしてる。

 

電車乗って、
iphone取り出してFacebook見たら、
もう、仮想世界に移動完了。

 

物理的な場所じゃないところに、
意識だけ一瞬でヒュンって飛んで、情報の海を歩きまわる。

 


『品川―、品川―。』
目的地に着いたら現実世界に舞い戻ってきて、
画面オフにして、身体があるこっちの世界で歩き始める。

 

着信入って電話に出たら、
また仮想世界にワープ。

 

どこにいるかは関係ない。

意識と意識が出会う場で、話を始める2人。

 

現実世界と仮想世界を行ったり来たり。
その繰り返し。

 

それだったら。


『仮想世界で待ち合わせして、
 誰かと会う公園みたいな場所が欲しいな。』

これが、エンカウントのきっかけのひとつ。

 

そして、もひとつ。
ここから先は、かなり自分勝手な欲求の話。

 


深夜、YoutubeTwitterを見ていて思ったこと。

 

情報受け取るだけじゃなくて、循環したい。
ちょっとでいいから、話したい。

 

見ているかどうかわからない間接的な「いいね!」
お互いにたくさんつけあっても、
なんか遠い。
物足りない。

 

もちょっと、近くで出会いたい。

 

そんな欲求。

 

でも、
「ちょっと」でいいんだよな。

 

井戸端会議くらいの気軽さで、
たまたま旅行先で、同じバスに乗り合わせたくらいのサイズが、
いいんだよ。


話すとしても、30分~1時間くらいでいいんだ。


これから連絡して「来週空いてる?」って
場所決めて、店設定して、2時間ランチしたい。
そういう欲求とは少し違うんだ。


朝活行ってみたいけど、行くのは面倒な朝に。
ケータイアプリで、オンライン対戦しちゃう時間に。
なぜか寝たくない夜に。
明日以降のプラン考えて、どうしよっかなって煮詰まった夜に。


「ちょっと」だけ人と話したい。


ただ話す。
そんな単純なことをもっと気軽に楽しみたい。


そんなふたつの動機が合わさって思いついた、
エンカウントという遊び。

定期的にやってみようかなと。

気が乗ったら、一緒に遊びましょう。

 

 

 

↓ エンカウントの一例。

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任天堂ゲームフリーク・クリ―チャー『ポケットモンスター』より画像お借りしました。)

capitulo19 村をつくりたい

『年末だからたくらんでること全部やっちゃえ。

 

 そうだ、村をつくろう。』

 

遊び場作りました。

みんなで遊べる秘密基地が欲しかったんだ。

Facebookページ、気が向いたらご参加あれ。

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今どこに住んでいますか?

 

私は大阪です。
たまに東京に行きます。

千葉県出身です。

 

この体を中心に考えると、
よく会う人は、自ずとその周辺にいる人になる。

 

Facebookで交流している人も、なぜか大阪と東京の人が多い。
不思議なもんだ。
でも、Facebookって、
基本リアルに会ったことある人同士の交流で使っているから、
そういうものか。

 

たぶんこのブログは違う。
スターを交換し合っている人って、きっとあっちこっちの街に住んでる。

ここで会えるだけでもうれしい。

 

でも、いろんな人ともっと交流したくなっちゃった。

 

 

ネットって、全世界がつながってるけど、
全世界の人と交流しているかと言うとそうでもない。

 

言語の壁があるから、
そんなにドイツ人の人の意見には触れないし。
(読めたら別だろうけどね。)

 

「ポスト身体社会」って言うけどさ、
意思だけだったら、もっと自由にいろんな人に会いに行ける。

 

この”いんたーねっとてくのろじー”を使って、
ひゅーって飛んでって、
もっと多くの人と会って、きままに交流したい。

 

田舎でバスを待っている間に、
「バス来ないですねー、このあたりにお住まいなんですか?」
なんて心持ちで、人とライトに話したい。

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でも、どこにひゅーって飛んでったらいいんだろう?

 


「さあ!どこでもいいから世界中旅行に行こう!」
って言われても、

 

『ちょっと待って待って、まずどこいくの?』
って、まずは目的地をつくりたくなっちゃう。

 

アフリカのあの村に行ったら、友達がいて、
あたたかく迎えてくれるとか、

 

イギリスのあの子の家に行ったら、
一緒に一週間生活をできるとか、

 

そんな当てがあったら、

ふらっといって、

しばしの間新しいライフスタイル楽しんでみよっかな♪とか、
気軽に出来るのにね。

 

 

村をつくりたい。
今は、会えない人と出会うための。

 

誰の村ってわけじゃなくていい。
ただそこにいったら、人がいる。
そんな安心感がある村を、
インターネット上のどっかにつくりたい。

 

そんなことを思って、
そんな取り組みをしたくて、facebook使って何やらはじめます。

 

大人になった人はみんな、
誰かがなにかはじめようとすると、

 

「何のためにやるの?」
「ゴールはどこなの?」

って聞くけど、

 

そんなのないよ。

 

楽しそうだからやってみるだけ。

 

人は出会って、生活を更新して行くんだと思うんだよね。
だから、出会いたい。話したい。交換したい。

 

「おもしろそうだからやった。」

そんな愉快犯。


これから人は、ひとつのところに住まなくていいと思うんだ。
住民票がある物理的な家と、
意思が住まう意識的な家と、
どっちもご近所の人と関わりながら、生活したいと思ったんだ。

 

みんなどんどん村をつくったらいい。
ほっこりできる人と一緒に暮らす人生をクリエイトする

道具とテクノロジーはそろってる。

 

2016年中にはじめたかったことのひとつ。

ここに始動。

0=∞=1

「絶対的な宇宙がなくなるまで、あとわずか。」

 

2016年のイギリスの流行語、Post-truth

"客観的な事実が重視されず、
感情的な訴えが政治的に影響を与える状況"

の意。

 

そう、

日々触れる情報のほとんどが、発信者不明の誰かの意見となった今、
事実はもう力を持たないってこった。

 

みんなが「いいね!」って思う意識の総体が、
世の中のあたりまえを塗り替えていく時代。


これからは、何を本当とするかは、
個人に委ねらていく。


考えを巡らせるそのベースとなる材料は、
自分で決めていい。

決めなきゃいけない。

 

誰かが世間を持っていきたい方向に乗っかるもよし、
自分で1から考えてオリジナルの考えを組み立てるもよし。

 

 

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いや、

 

私は0から考えたいな。

 

 


ありとあらゆる人の意見をぜーーんぶ材料に美味しく頂いて、
自分の信念に従って、0から私の意見を新しくこさえたい。

 

そして、願わくばそんな人が増えてほしい。

 

人がこんなにいっぱいいる理由、

そういうことだと思うんだ。

 

違うから、出会う。
違うから、一緒にいる。

違うイメージが出逢って、新しいものを創る遊戯=人間の人生の究極の楽しみ。

そう定義して、日々を紡ぎたい。

 

 

 

0=∞=1

わたしはこの世界観が好き。

ひとつの動きで、世界を語る。

 

有ることがあたりまえではなくて、
無いことをあたりまえとする世界観。

 

無。

ある:ないの相対を越えた、
絶対無。

 

観測するまで、世界は存在しないんだ。


その基準点に立って、
世界を見た時、
すべてのあたりまえが「有り難い」ことが論理的にわかる。

 

世界を創っているのは、自分であり、
世界のすべては、自分そのものである。

 

みんな繋がってる。
そこから敢えて、分離を創って出会いを楽しんでるのが今と言うものだ。


世界を創ろうよ。
仲間は73億もいるんだぜ。

 

 

2017年、

あなたはどの基準点からものごとを考える?

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photo by haruka

伝わる×伝わらない

よおく考えてみたら、

わかることなのですが。

 

 

今わたしが考えていることが、

すっかりぜんぶ

 

あなたに伝わることは
ないのです。

 

『絶対』

ないのです。

 

 

 

テレパシーみたいに
ピピッって、発信して、
ピピッって、受信して、

 

『こんな世界を見ているんだね。』

って、


もし、すっかりぜんぶ共有することができたなら、
きっとわたしは、泣いて崩れてしまうに違いない。

 

 

 

わたしのイメージは、

 

言葉にした瞬間に、

違うものになって、

 

声にした瞬間に、

違うものになって、

 

私の元を離れていきます。

 

あなたがふっと掴んで、
受け取った瞬間に、

 

違うものになって、

あなたに少しだけ吸収されて、

いくのでしょう。

 

(ありがとう。

つかんでくれて。)

 

 

 

 

 

今わたしが考えていることが、
すっかりぜんぶ
あなたに伝わることは

 

ないのです。

 

 

だから:だけど

わたしたちは話をするのですね。

 

わかってほしくて、

つたえたくて、

みとめてほしくて、

 

 

 

(影響することは、

できるものね。)

 

 

 

「こっち」の世界では、

ひとつになることって、

ほんとうはかなり難しい。

 

 

 

境界線が邪魔だ。

 

 

消しゴムで消して、

ぶちっと両手で引きちぎって、

投げつけてこなごなにして、

ぎゅって抱きしめてめりこんででも、

 

ひとつになりたいのに。

 

 

 

『絶対』

が邪魔をする。

 

 

 

―これは―

哀しいようでいて、

あたたかいスト―リー。

 

わたしたちは繋がっていて、

それでいて、

別々の宇宙にいる。

 

受け入れざるを得ないルール。

 

 

 

だから、

 

 

 

手をつないでいたいね。

不安に殺されちゃわないように。

 

ひとりきりになるためには、

だれかがいないとだめだ。

 

本当はひとつだって、

心の中で唱えながら、

ひとりっきりを楽しむのが、

近頃では流行ってる。

 

 

今、この瞬間に、

あなたに何かが届いたのなら、

重畳だ。

 

(伝わらなくたっていい。

 繋がっていれば、それでいい。)

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12月17日に、宇宙とにんにくをつくります。

さて、本物のにんにくさんは、どれでしょうか?

 

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【大阪】アートセラピー体験講座「にんにくをつくる」【2016年12月17日(土)】

 

生きているということは、

時間軸に乗っかって、

時を進むということ

 

だから、あえて、

時を離れる時間を

生活の中に持つ。

 

飛ぶ時間。

 

Take off.

 

没入 集中 無我

 

呼び方は何でもいいけれど

 

「今、ここ。」

しかない感覚に身を置くって

 

人間たまにやった方がいい。

 

 

 

 

12月17日に大阪で行うアートセラピーのイベントを

プロデュースすることになりました。

 

お昼と夕方の集いのふたつ。

 

お昼は、にんにくさんを紙ねんどでつくります。

夕方は、みんなで宇宙を描きます。

 

どんな時空間になるかな。

楽しみ。

一見さん、大歓迎です。

 

【大阪】アートセラピー体験講座「宇宙を描く」【2016年12月17日(土)】