わたしのメディアアート論Ⅴ(最終回)
Ⅳ.時代という作品の作家になる気概はあるか
メディアアート生活、
最終的に作りたい作品は「時代」
最後はその話をしようと思う。
これから、「有ることがあたり前」ではなく、
「無いことがあたり前」の時代が来る。
基準点革命ともいえる、その変化。
天動説から地動説に宇宙観がガラッと変わったレベルの
パラダイムシフトにどう対応するか。
この世は「仮想現実」的な発言が、
一般的に聞こえるようになってきた現代、
私たちは、人類最大のクソ面白い時代に生きている。
祭りだ祭り。
人類総出で、踊らにゃ損損。
メリルリンチまで言い出した。
提案は議論を呼ぶ。
量子論も「認識=存在」というところまで来た。
錯覚とはなにかについて、多くの人が考える日がくるんだろう。
いきなり、
無いとか、仮想現実とか、VRとか言われると、
なんだか、人間がこれまで大切にしていたものが、
一気にがらがらっと崩れてしまいそうな気もするけれど、
案ずることはない。
そもそも「色即是空だ」って、
お釈迦さまもずっと前から言っていたじゃない。
天動説から地動説があたりまえになった「その日」があるとして、
それでも人々は、変わらず暮らしていただろうし。
突然、宇宙から何かが襲ってくるわけでもなく、
緊急事態宣言が発令されるわけでもなく、
この世界がたとえ、本当はあるのが当たり前でなくなっても、
わたしたちはいつもと変わらず、お腹が空き、
外で食べちゃうか、スーパーで材料買って帰るか悩むんだろう。
ただ、
生き方、人生観は少しずつ、でも確かに変わっていくだろう。
仮想現実ならば、
無いところから、創られているのならば、
人生とは
人間とは
時代とは
世界とは
全部、何かに答えが出て、
どのように創られてきたのかが、
みんなあたりまえにわかる時代がやってくる。
観術教育は、いち早くそれを誰でもわかるようにしちゃっているから、
そのうち、小学校とかでも、「宇宙のしくみ」っていう、
今の私たちがタイムスリップしたらびっくりするような授業を、
普通にやっているんじゃないかな。
10年前から考えたら、ここまでスマートフォンがあたりまえになっている、
なんて想像していなかったからね。
この先何年かで何が起こるか分からないほど、
現代は、あたりまえプラットフォームの更新スピードが速い。
「なに?ポケモン街中でゲットするの!?なにそれ?意味わかんない!?」
って2006年の私に、今の世界を伝えたらびっくりするに違いない。
全ては、情報化し、解析可能で繋がっている時代が来る。
世界は記録・保管・伝達のための媒体
=メディアとして認識されるようになる。
そこで、わたしは時代という作品を創りたいんだ。
人類最大の危機であり、
ある意味、
今までの有るのがあたりまえの世界にくっついていた、
概念やあたりまえ固定観念全部ぶっ壊して、
新しい人類文明の方向性を決定していける、この、
笑っちゃうくらい、愉快な時代に。
だって
こんなの、マンガやアニメ、ゲームの世界だよ。
それがリアルに日経新聞とかにのるんだよ。
ファミマで買うね、その日の新聞。
間違いない。
号外も、有楽町あたりでもらう。
わくわくして仕方がない。
そんなタイミングに、この「メディア」を使って時代を創るプロジェクトに、
能動的に参加したい。
これから、何を創っていくんだ、人類。
どんな人間になってどんな人生を自分でデザインする?
そのひとりひとりが集まって、何する?
一旦は、多様な意見や方向性が錯綜するだろう。
その頃には、人間は観点の障壁を突破しているだろうか。
誰もが、ありのまま発信できて、ありのまま受信できる、
その態勢は整っているだろうか。
はやくしなきゃね、認識革命。
間に合うかかどうかは、さておき、
エンターテイメント的な要素を持ちながら、背景には、
「実験的精神・好奇心」
「世界の新しい見方の提案」
「時代の最先端に対する問題提起」
をこっそり含みながら、人間を思いっきり賛美しながら、
そんな話をしながら、想像と創造、繰り広げたい。
いち早くこのわくわくに乗ってくれる人としているのが、
私の仕事、リアライブコンダクト。
Re-Alive。
生きたまま、一旦無までタッチして、
有に戻って生き直すご案内。
何にもとらわれない心で、
今ここを観とおす、その「目」を持つための技術を渡すよ。
作品鑑賞の準備は完了。
何もないところから、この時代をどうデザインするか。
作品としての人生、
総合芸術としての時代という定義。
その上で、何を創るか。誰と創るか。
どうしたら、世界を作品として見る"目"を多くの人に渡せるか。
時代という作品の作家になる気概はあるか。
あなたは、この時代どうやって生きる?
はやく、みんなとわくわくしたいわ♪
以上!
読んでくれた方、ありがとうございます!