僕らがしているのは、戯れか進化か(1)
落合陽一さんの記事を読んで、想像したこと。
私は今『新たな生き方と仕事つくる時期』だと思っていて、
ずっと、そのことばかり考えている。
そことつなげた時に、色々面白い発想が出てきたのでシェア。
SNSネットワークは新たの身体の獲得
最近、自分のFacebook内での交流が変わってきた。
前は、Blog×twitterのような用途で、
個人の活動の様子や記事のリンクが羅列されているのを眺めて、
『おいしそうだな』、『楽しそうだな』→イイね!
といった思考回路で(説明が雑)使ってたんだけど、
思ったこと、気付いたことをアウトプットする人々の出現で
何かが変わり始めた。
自分の中で、そのムーブメントを創ったのは彼で、
そこから、ドミノ倒しみたいにFacebookのtwitter的投稿が、
私のフィードに増えだした。
たまたま、私の交友関係の中では彼が目立って発信し始めたという現象であって、
元々、そういう投稿をしていた人はいたんだろうけど、
そのあたりから「気付きアウトプット型投稿」が増殖していった。
そして、次に起こったこと。
これも、たまたま今までの自分のフィードでは起きていなかっただけなんだけど、
やり取りするコメント数が増えだした。
以前は「素敵な投稿ありがとうございます」的な、
どこかよそ行きの言葉、
LINEというよりはメール。
のようなコメントの応酬だったのが、
突然、様相を変えて、
『まじか』
みたいな端的なものから、
『私はこんな風に思ってます』
といった会話が始まっていった。
まるで、道端で立ち話するかのように、
人々が言葉を交わしては、次の人に会いに行く。
そんな場ができていた。
これは、まさに、
スマートフォンは、たった10年で我々の生活習慣を変えてしまった。人はインターネット上に第二の言論・視聴覚空間を作り、住所を持ち、デジタル空間にもう一度生まれた。この地上で、誰もが発信者であり表現者となった。
の状況がここにあるな。
と思った。
第二の言論・視聴覚空間、此処にあり。
この時の記事でも書いたけど、
私たちは確実に、現実空間と仮想空間両方を行ったり来たりしながら、
一日を過ごしている。
Facebook現象も最初は、
これは仮想空間における、城のない城下町のようで面白いぞ。
どこからともなく人が集まってきて、住み始めた!!
と、昨年末は「信長の野望・創造」をやりながら、
どうやったら『日本がひとつになるのか』を社長と、
馬鹿にみたいに真面目に研究していた私の脳は思っていた。
おかげさまで天下統一しました。
『信長の野望に学ぶ、現代日本の創り方』はどこかで書くとして、
落合さんの記事を読んだ時に、これは城下町現象ではなくて、
"個人の能力拡張"であり、身体の拡張なのか。
と新しい見方が生まれた。
ひとまずAIレベルで考える
Facebook上でのやり取りを、第二の居住空間の賑わいではなく、
「身体の拡張」としてとらえる。
これは、人工知能のしくみに似ているなと思った。
人工知能を積んだロボットの「自分」の範囲は、
体にとどまらない。
HITACHIの汎用人工知能、Hくんの動画を見た時に、
衝撃的だったのは、この動画だと、0:55くらいのとこ。
USBケーブルをさしかえるとこ。
これ、昔の子供だったら、
「ロボットさん死んじゃったーーー!!!」
って泣くぜ!
と思うくらいびっくりした。
AI積んだロボット君にとって、
ロボットらしいあの体はただの殻で、
本体は、プログラムの方。
もっといえば、データとそこからパターンを抽出する能力が「自分」
ひとつの個体が、新しいこと覚えたらみんなで共有。
だれかの知識は瞬時にみんなのもの。
頭はプログラミングとデータの蓄積で、
体は全世界に点在している体のロボット君。
っていうイメージ。
今、Facebookで起きてることはこういう見方もできるんじゃないか。
ひとりの気づきは、みんなの気づき。
ひとりの事件は、みんなの事件。
通常だったら、人生1回、100年分くらいしかないけど、
フィード上で目にする、何百人もの人生上での気付きを共有できる。
これは、進化スピード加速するでしょ。
思考するのは、自分の脳、
体験経験して、気付くのは、ネットワークで繋がってるたくさんの人の脳。
これは、人工知能と同じ能力をひとまず手に入れてるってことになる。
もう、自分はこの身体の自分の経験を越えて、気付きを手に入れられる。
おっきい自分GET。
えー、人工知能君と同じレベル?
そう考えると、なんだかさみしくなるのが、
人間の対抗意識ってものだから、
そっから、その次を考えてみた。
さて、おっきくなった身体使ってなにしよっか。
次回、
『人は人間にしかできない、クリエイティブなことをして過ごせばいい、
幸せを考えよう』はこわい言葉?
→(2へ続く)