メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

第5章:ハイパーローカルに専念する覚悟ができた

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毎日の日報になりつつあるこの日記。

 

今年は動かしながら改良していく方針で行くので

この先、日報的発信(別名観察日記)が続くのか

はたまた違う発信やコンセプトになっていくのか。

 

未知数でございます。

 

今のところ、代案もひらめきもまだこないので、

本日も一日の様子をさあ、書いて行きましょうか。

 

今日は、しゃぶしゃぶ食べ放題に行って、たくさん野菜を食べて栄養摂取してまいりましたよ。

 

栄養をとっていない時期が続くと、体が訴えてくるよね。

「えいよう、ください。」って

素直な体でよかった。

 

本日も朝トークからスタートした

毎朝やってるラジオ「きょうのひらめき予報」

 

昨日書いた物語に絡めて無意識のスープの話、

最近考えを深めたい、アーバン遊牧民の話、

そしてみんなアーティストになっていく話などをした。

 

今朝は話したいことたくさんで

12分に収まりきらなかったので2つになっちゃった。

 

無意識のスープPart1 - きょうのひらめき予報 - Radiotalk(ラジオトーク)

無意識のスープpart2 - きょうのひらめき予報 - Radiotalk(ラジオトーク)

 

最初に朝トークを始めた動機は

わたしがこころがざわざわして音によって気分を整えたいと思った時に

聞きたいものが見つからなかったから。(初回のラジオで動機を詳しく話しているよ。)

 

ざわざわを解消しようと思ったのだけれど

どんなヒーリング音楽を聴いてもダメで

友達がやっているラジオを聞いて調子を取り戻した。

 

その時、人の声や温度、ありのまま話している音の力を感じた。

 

自分が持って行きたいテンションに近い人の声を聞くのって

心のチャンネルを切り替えるのにすごく効果的かもしれない。

わたしも、いろいろなテンションの音を録音して並べておこう。

 

そう思って始めたんだけれど

気づいたら毎朝更新していて

なかなかどの回がどのテンションかわかりづらくなっちゃったかもしれない。

 

タイトルを直感で決めているので、その時ピンときた回を聞いてもらえれば

いい共鳴が起きるんじゃないかなと思ってる。

もしくは乱反射か。

 

今日は、語り口調が定まらないな。

 

さっきまで13年間分の計画を立てるために自分に色々質問していたんだ。

頭がちょっとふらふらしているのかもしれない。

 

定まらない口調で後半戦行こうぜ。

未来の計画・今日までにわかったこと

昨日のブログの最後に質問集のようなものを用意したんだけれど、

今日はそれに片っ端から答えていった。

何か構想を練るときは、もう、ひたすら書く。

 

イメージの世界にすべてを保管したままだと、

具体化する時に

どこまでできていて、どこまでできていないのかわからないから

ひたすら言葉と図にして書きまくる。

 

そんな調子なので、昔は部屋中メモをしたA4の紙がちらばっていて、

あらあらという感じだったけれど、

最近は、iPadのお絵かきアプリに質問ごとにレイヤーをつくって、

書きまくることで、ペーパーレス化に成功した。

 

↓この画像では全レイヤー表示にしちゃったので大変なことになっていますが、

レイヤーに分けて書くと、何枚もの紙に書いてホチキスで留めているのと同じ感覚になるので重宝している。

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まだ、質問に答えるのは、全部終わってないんだけれどね。

今日はっきりしたことが何個かあるから書いておこうと思う。

 

<未来の計画のための質問をして、ここまででわかったこと>

 

・2021年7月24日までは、ひとりの人間としての視点での問題意識の解決に集中する。そこまで個人の時代を卒業する。ハイパーローカルを極める。

 

・いま一番解決したい問題は、「自分の理想のライフスタイルのモデルケースがない」ということ。人間として持てる限り100パーセントの力を発揮して生きたい。最大限生に向かうことは、最大限死へ向かうことと同じことで、わたしはここに美しさを感じる。この境地の手応えを感じながら生きるための「環境」=「ライフスタイル」だと思っているが、お手本にしたい理想の生き方をしている人が見当たらない。なので、100パーセント発揮しきれていない感覚が続いたまま、今後人生を続けることは問題と感じる。

 

・解決策は、自分の理想のライフスタイルをつくること。具体的なアクションプランと、プロセス、エコシステム、必要なリソースについては明日考える。

 

・2021年7月26日からは問題意識を拡大させて国家・世界のドメインまで広げる。この時に課題設定できるように、ハイパーローカルの時代は「グローバルの中のローカル」を意識しながら過ごす。社会構造自体を変えたら出来ること、見られる景色を探す。

 

ここまでをまとめるとこんな感じ。

 

まだ外堀の話だから、ぱっときいてわくわくするようなものはないだろうけど、こういうところから作って行くのはとても楽しい。

 

質問をしても、すぐ答えられなかったり、言葉にならなかったり、あれ?本当はどう思っているんだ?どこが核なんだ?というのを探すのは、外科手術をしているような気分で精密に思いを見ることに緊張感があったり、エネルギーを大量に使いすぎてふらふらになることもあるけれど、その結果出てきて綺麗に整った自分の思いは、頼もしいし、自信につながる。

 

去年までは、こういう土台づくりをしている時はあまり発信せずに、「今これをしようと思う」という一番表層の話でエンターテイメント性があるものしか発信していなかったけれど、今年からはやっていることを全部発信したらどうなるか見てみたいんだ。

 

なんでそんなことをしようとしているかというと、わたしのテーマは『ライフスタイルの多様性』なんだけれど、どうやったらライフスタイルを発信できるんだろうという課題が生まれたから。どの部分をどのように伝えたら、参考になるエッセンスを吸収できる発信になるんだろうか。

 

ピンポイントで伝えた方が使いやすい?

それとも、毎日こうやってプロセスを伝える?

それとも、全部終わった後にまとめた方がいいのかな。

 

そのためにはライフスタイルとは何を指しているのか、

から定義していかないといけないだろうね。

 

その辺りは明日やっていこう。

また、明日引き続きやりたいことができたな。

 

ええと、1月9日までに何かが決まって、1月10日発表だっけ。

間に合いそうだね。

 

着実に一日一日想像を濃くしていこう。

 

あ、1月6日〜1月8日あたりは東京に行くよ。

移動しながらアイディア練るの結構好きなんだ。

一緒に楽しめるものがつくれるといいな。

それでは、また。

第4章:未来の記憶が今を動かす

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あれ、おかしいな。

今日は、2025年のビジョンに想いを馳せて、

そこから2019年のイメージをふくらませようと考えていたのに

気がついたら物語を書いていた。

 

意思の行きたい方に野放しにしてあげる戦法

物語を書くというのはたまにやる手法。

定量的に未来の計画を立てるのもいいけれど

それだと質感をともなったビジョンにならない時に

物語として未来に自分が見たい一幕を描く。

 

未来のある一点にピューって飛んでいって、その日の日記を書く感覚。

未来に質感が生まれ質量を持つと、

未来は過去と同じ効果を発揮する。

 

本来、未来と過去は同じ素材でできている。

どちらも想像の世界にしかない。どちらの正体も記憶だ。

本来ここには今しかない。

 

人を動かすのが動機ならば、

人を動かしやすくする促進剤の役割を果たすのは自信といえる。

 

自信は想像の世界が生み出す。

私ならできる、という根拠のない自信も

昔やったことがあるからできるはずという自信も

どちらも想像の世界から来ている。

過去の体験や経験は今ここにはない。

それは想像の世界に記憶として格納されているだけだ。

 

ならば、先に未来を日記や物語として記述することで経験し、

記憶として想像の世界に格納してしまえば、それは自信となって今を後押しする。

 

未来の記憶が今を動かす。

なので、未来の計画を強化する目的でわたしは物語を書くという手段をとることがある。

未来の計画を立てよう

 

今は当たり前になっていないことをあたりまえにするのが

自分にとっての未来の計画。

 

わたしは基本的に何かを作っていく人生を営んでいるので

未来の計画=なにをつくっていくのかの計画と同義になる。

 

この何を作っていくのかについてイメージをふくらませようと、未来の一幕に行われているライフスタイルを物語に内包して記述しようとした結果、思いもよらぬ方向に話が展開した。

 

これは新しい経験だった。

 

わたしがnoteで書いているような記事を書くときは、最終着地点を事前に決めてそれを伝えるために書くのが通常のスタイル。

(このメディアアート生活ブログは、日々の徒然観察日記なので日報のように書いている。)

 

だが、今日書いた物語は書いているうちに勝手に物語が進行したので、その意思の流れに任せてみた。

 

伝えたいことの放棄。

こうなると執筆の操縦者は意識/思考から、無意識/感性に委譲される。

 

そしてできたものがこちら。

おはなし:コーヒーカップと不思議な実【前編】|J humind association|note

 

なるほど。感性に任せるとこうなるのか。

見事に自分や身の回りの人、環境、時代の特性や問題意識が入り混じった、無意識のスープのような話になった。

 

これはこれで面白い表現方法だと判明したのが本日の結果のひとつ。

 

そして、あれ、

2025年のビジョンと2019年のイメージづくりはどこいった。

これはまたあらためて明日しよう。という感想がもう1つの結果。

 

未来設計のために必要な要素

ここから先は明日、未来設計するための準備。

WEEKLY OCHIAIを見ていて、

落合陽一さんの思考様式から気づいたことをメモ。

これ一回ガッツリ確認して書いておくと、定期的なメンテナンスに良さそう。

 

<基礎工事用>

・問題意識は何か。

・どこまでの範囲の状況から発生した問題意識か(正直に)

・それに対しどのポジション(サイズ)からアクションするのか。

・10年後に見たい風景はなにか。(範囲を明確に)

・10年後に自分が選んだポジションはどのような立ち位置になっているのか。

 

・なぜ自分がそれをするのか。

・動機はどこから発生しているのか。

・それは今の時代に対して何を表明するのか。

・それはどこまでの範囲までインパクトを与えるのか。

 

<時間軸の計画用:プロセス設計>

・ビジョン達成までの段階とストーリーは。

・それぞれどんな因果関係で何と接続し、次のコマに進むのか。

・それぞれの段階のサイズ(範囲)設定は。

・各段階の達成のKPIは。

 

・具体的なアクションプランは。

・必要なリソースはなにか。

・そのために必要な環境とイベントは。

・開発が必要な技術は。

 

<空間軸の計画用:エコシステム設計>

・どのサイズの話なのか。

・どのマテリアルを使うのか。

・それぞれのマテリアルの特性とはなにか。

・それらはそれぞれどのような機能を果たすのか。

・どのような仕組みによって自走可能となるのか。

・その存在の存在意義とは。

・それは上位の系の中でどのような機能を果たすのか。

 

<基礎体力研鑽用>

・自分はどのようなビジュアル、テクスチャを美しいと思うのか。

・自分しか知らない美とはなにか。

 

とりあえずこれに答えながら自分を整理しよ。

 

第3章:時を読んで未来を予言する

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毎日の発信のルーティーンが決まってきた

こんばんは、サカキです。

新年も2日目にして、

毎日どういうサイクルで発信を行うかの型が見えてきた。 

 

朝は起きた直後にRadiotalkを使って声と音で発信、

昼はnoteにて文章で発信(これは毎日続くかわからないな)、

そして、夜はここで発信して1日を終わらせる、と。

 

息をするように表現していたい。

毎瞬間感じたことを元に、気づいたそばから表現に変換したい。

 

そして、それが一定量たまると

勝手に次向かうべき未来のビジョンが形作られていくというのが理想。

 

今年は去年よりさらに、その一連の流れが自動的になされる体になりたい。 

 

というわけで昼間に一本、記事を書いてみた。

 

昨日の夜のブログの時点ではまだかっちりと言葉にしていなかった

部分がひとつ言葉になった。

全体像じゃなくて、要素の1つだけれどね。

 

<参考:昨日の夜のブログ> 

 

昼に文章を書くと、朝や夜とは違う表現の仕方になるから

有意義。

 

こんな感じで様々な角度から息をするように発信し続ける

基礎体力を上げていこうと思う。

 

トキヨミのお時間

 

今日の夕方は多くの時間をトキヨミに使っていた。

 

トキヨミとは、自分の心の動きのデータを収集して

そこから導き出される型を元に

未来の動きを予測すること。

 

わたしは計画を立てたり、何をするか決めるときに

感覚優先+月の満ち欠け、星の動きなどの暦的な指針

を元に決定している。

 

毎日何を思って何を行動したかのデータは

手帳や各種SNS、記事として残しているので

そこから規則性を見つけていくと

どういうリズムで何が起きるのかという型がだんだんわかってくる。

 

そうすると、未来が見える。

だいたいこれくらいの時期にどんなことが起きるのかが事前にわかる。

 

未来が見えると後はそこにどれくらいの規模のイベントをはめていきたいか

設定してそれ通りに動くと準備もしやすいし動きやすいしうまくいく。

 

自作の星占いのようなイメージ。

 

2018年はわりと丁寧に記録を残していたので

2019年に当てはめるべき型は見つけやすかったし

とても使いやすい型が導き出された。

 

その型からいうと、 

1月10日から何か企画を打ち出す予定なんだよね。

だから9日までにそれが決まるようだ。

 

なので9日までわたしが取り組むべきテーマは

『2019年はどんな世界を作りたいか

これに尽きる。

 

今の所見えている未来

9日までにははっきりとした形・行動が決まると思うけれど

こういう期限を宣言して何かを決める時って

大抵キーワードから少しずつ現れてくる。

 

今の所出てきているのは、

・移動中心のライフスタイル作り

・ライフスタイル革命

・地球一周どのタイミングで行く?

・移動手段をミーティングスペースにするという実験 

 

などなど。

 

うーむ、まだ材料が少なすぎて

解像度が低い。

まだ、はっきりとした企画になっていないね。

 

明日からまたこれに色々と肉付けされていって

材料が増えて

最終的に形になって

お目見えできると思う。

 

これで明日のやりたいこともできた。

2019年の設計図を充実させていこう。

 

そんな感じで本日の報告はおしまい。

また明日ね。

第2章:新時代の生き方の準備をはじめる

2019年のスタイルを作ろうとしている

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探り探りはじめている。

2019年のスタイルを作ろうとしている。

 

なんでもはじめるときはいつも

同じような手応えで

イメージとしてはこれから自分がやっていくことが見えている。

 

書こうと思ったら文章にできるくらい

・これから何を、どのように、やっていきたいのか

・それは他のものとどのように違うのか

こういうことは言語化できていることもある。

 

だけど、この最初の探り探り期間は

なぜか、あからさまに

考えを

言語にして

構成した

記事を書こうという気が起きない。

 

わかっているんだけど

出し惜しみをしている。

そんな感覚。

 

出し惜しみをしているのは他人に対してじゃなくて

自分に対して出し惜しんでいる感覚になる。

 

言葉にしたくない。説明したくない。

それらをした瞬間にこのイメージが変質していってしまいそうで。

 

 

特に今回はチャレンジなんだ。

 

わかりやすいように書こうと思えば

これまでの経験の積み重ねで多分できてしまう。

 

だけど

わかりやすくするというのは

いいことばかりではないと知っている。

 

わかりやすくしようとすると

どんな人でもわかる最大公約数的な言葉を探して、

共感を持てるような表現に寄せようという意識が

自動的に発揮されてしまう。

 

そうすると

時たま自分で書いている文章に

自分が影響されちゃうことがある。

 

一回文章を書いたくらいじゃ

そこまで影響されないのだけれど、

 

二回三回と書いているうちに

わかりやすさと最大公約的な表現に

自分の想像力側が引っ張られていく感じがする。

 

型にはまる。つまらないものになる。

 

もっと変な形をしていたはずなのに

いつの間にかみんなが理解できる形になっているぜ。

 

元々丸を描いていたわけじゃなくて

いびつな楕円形のような

「0」のような絵を描いていたはずだったのになぁ 

 

となることがある。

 

今年はそれをやめたい。

だから、今日のブログも

あえてあんまりわかりやすく構成していない。

 

思ったことを思ったまま書く実験をしている。

そのかわり、毎日書こうと思っている。

物量作戦。

 

朝は音声でラジオの形で発信して


夜寝る前にブログを書こうかなと思っている。

 

ちなみに2019年に作りたいスタイルが

「朝ラジオをとって夜ブログを書くこと」ではないよ。

 

本質の話はまだ全然していないんだ。

 

ここまでで言いたいことは、

 

・2019年は新しいスタイルを作ろうとしているよ、ということ。

 

・わかりやすく書こうとすると思ったままの表現でなくなることがあるから、わかりやすく書こうとするのをやめているよ、ということ。

 

・朝は音声、夜は文章で発信をすることに決めたけど、それはやりたい『新しいスタイル』の一部の話であって、新しいスタイルについての説明ではないよ、ということ。

 

誰にも頼まれていないという強さ

こんな感じのブログを夜寝る前に毎晩書こうなんて

初期設定としてハードルが高い気もしてきた。

 

だけど、この積み重ねは

これからの時代に

とっても必要なこと

だと思うからはじめてみるよ。

 

新しいことをはじめるときは

いつだって手探りで

一番はじめは自分にも相手にも

なにをやっているかわからないように

うつることもあるもんね。

 

やっている人が何をしようとしているかわかっていれば大丈夫。

いつかは誰かに何をしているのか見せることができるようになる。

 

そもそもわたしが焦る必要は

どこにもないんだ。

 

だって、だれかに

おしえて、とか

説明して、とか

やってください、とか言われて

これをやろうとしているわけじゃない。

 

勝手にやっているだけなんだから。

 

だから、自分が「これだ」と

その時その時思う方法で

やったらいいんだよ。

 

だから、毎日すこしずつ話させてね。

あなたにだけ届けばいいと思って書いているから。

 

今日はここまで。

 

新しいスタイルって何かって

簡単に言うと

『勝手にやる』ということだよ。

 

この言葉には色々な意味が込められているんだ。

だから、また話すね。

おやすみ。

第1章

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やっと。やっとだ。

2019年になったら書こうと思っていた。

何度か書こうと思ったこともあるけれど

途中からそうするしかないとすら思っていた。

 

ルールが変わるぞ。

今までが通用しなくなる。

 

思いのまま書く。それだけだ

それだけに集中しよう。

 

 

 

生き方について考えているリソースを感じることにまわす_00

これからいろいろ投稿するにあたっての今の気持ち

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 またいろいろ思いついちゃったので、

とりあえずここに書き連ねておいて、

後から見返してまとめるか、

必要な時が来たら細切れにして使おうと思う。

 

生き方について考えている時間って生活の中でどのくらいの配分?

わたしはこれまで、起きている時間の半分は生き方について考えていたよ。

 

人間マニアだからしょうがないよね。

 

生き方っていうと抽象的すぎるから、

もう少し具体的にいうならば、

 

・精神的なコンディションを万全にしておくためには、何種類のバリエーションのモードに意識的にシフトできるようにすればいいのか

・わたしは何に向かっていて、今どの段階にいるんだろう

 

とか、こういうのを考えて、はっきりさせて、言葉にして、確認して、

実際に日々の暮らしの中でどういう時間を定期的にとったらいいのかとか、

まるでジムのメニューみたいにストイックに計画と実行をしていた。

 

ここ1ヶ月くらい、特によくやってた。

セーブポイントがひと段落して、人が来なくなったから、

じっくり自分に目を向ける時間がとれたんだと思う。

 

うまい具合にこういうタイミングが来るのって嬉しいよね。

順番やタイミングとかうまくできてるなぁっていうことに遭遇すると、

大きな流れにちゃんと乗れているな、よしよしって満足する。

 

そんな感じで「生き方」について結構一日のエネルギーの多くを注いでいたんだけれど、そろそろ節電したいなっていう気になってきた。

 

節電したい

起きている間にしていることについて計画的に考える時、

電力供給みたいなイメージがある。

 

エネルギーってよく言うけど、言い換えれば気力、やる気。

なんでもいい。

何かをするためにそこに意識を向けるときに使うやつ。

集中してやりきった後に

「あー疲れたー」ってなった時に使ったやつのことを指している。

 

無意識側には制限のないエネルギーがあると思っている。

そして、意識側は1日24時間という世界の中で、人間という機能を使ってあれこれするので、ある程度電力(エネルギーのことを電気にたとえている)量は限られてくる。

 

きっと、頭の使い方や意識のトレーニングで

起きている間にどれだけのことに注力して力を入れてできるか

っていうのは変わってくると思う。

 

人によって契約ワット数が違うみたいな感じで。

そして、キャパを超えるとブレーカーが落ちる。

 

そんな感じで、電力量が限られているから、テーマを制限する必要がある。

一度にあれもこれも考えたり意識したりやろうとすると、キャパを超える。

 

だから、賢い方法は、

テーマを決めて意識を向けていろいろ作業して、

納得したり、答えが出たら、

それを習慣化することに電力を使って、

あたりまえにして、無意識でできるようにしちゃう。

 

そうすると、そのテーマについてはもう

意識側の電力使わなくていいから、電気が余る。

 

すると次のテーマについて作業ができる。

こんな感じで順番に、自分の意識プログラムを改変していける。

 

無意識の海に沈んでいたテーマを意識の舞台に引っ張り出してきて、

改変して、また無意識の海に沈める。

 

そんなことを繰り返してきた。

 

なんで、改変が必要かというと、

思考は意外と歴史に毒されているから。

 

本当はなんでもできるはずなのに

何年か前まで、なぜか人間なんでもはできないような気がしちゃってた。

 

なんでだろうって考えたら、

みんなそんな感じのことと思っているし、言っているからだなって思った。

 

これは、これまで人類がそういうもんだと定義付けてきた集大成の初期設定であって、今わたしが生きるのには必要なさそうだったから、

初期設定の改変が必要だなと感じた。

 

それからどんな感じの初期設定にしたらいいかな~?

って研究して実験してた。

そして、一個答えが出たからいままとめてかこうとおもっている。

 

さて、要点をまとめます。

 

人生ゲームを明確に。

ルールと遊び方を明確に。

生き方についてあれこれ思いついた順に非効率的に考えるのをやめよう。

 

これって、他の人にもあてはまるのかな。

それともにひとりひとり違うのかしら。

 

まだそのあたりがよく見えてないから

書いていくことで見えてくるものもあるかなと思って書いてみる。

第十七夜(完)→時代を作ろうとするのは一旦終わり

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本日でくるっと転換します。

 

なので、Myth/國/時代という作品をつくるカテゴリーの記事は今回で完結。

hisui0.hatenablog.com

 

なんだかすっかり

「生きる」ということに対するルールが変わってしまって

今面白い感じになっています。

 

人生に第1期・第2期・第3期と

そういう節目があるのなら

第3期が始まるんだと思う。

 

第2期はとりあえずつくった。

1年間作りまくっていた。

 

「未知を道にするとはどういうことか」

自転車に乗れない人が

乗れるようになるように

練習して 慣れて

無意識でも乗りこなせるように

頑張ってきた1年間っていう感じ。

 

実現していないものを実現させるためには何をしたらよいのか

わかったし

コツも覚えた。

多分これでなんでも形にできる。

 

第1期が長すぎて

それまでに「人間ってこういうものでしょ」って

ずっとおもいこんでいた枠から

脱するのに一生懸命だったのが第2期っていうイメージ。

 

想像力で世界を操れるように 彩れるようになるのを目的に

頑張ってきたよ。

 

第2期はタフになるためにひたすら頑張ってきた時代という感じ。

作ろうとしたし 作りたいものを設定した

目的がないと 研鑽を積むきっかけがないから

常になにか「するべきこと」をつくろうとしてた。

 

なにもすることがないことが

まだ不安だったんだと思う。

 

そして

ようやく

第2期の最後になって

「今」に集中することができた。

 

想像力でなんでもつくるんだけれど

未来を想像するのをカットするというのが

最後まで難しかった。

 

過去想像は結構早めにカットできるようになったんだけど

未来を想像しちゃう癖が抜けなくて

最後まで苦労した。

 

その結果

今は過去と未来のない

今にいることができるようになった。

 

未来の重さがなくなった。

思ったことはなんでも叶うし

形や存在を作れることもわかった。

 

満足。

 

今は、こうして台風の去った後

カーテンを閉めた部屋でゆっくり音楽を聴きながら

文章を紡いでいるひとときが十分楽しい。

 

時代を作ろうとするのは一旦終わり。

1年間動き回ったよ。おつかれさま。

 

一旦観測者に戻る。

 

一旦一旦言っているのは

また作りたくなった頃に作り始めちゃうと思うから。

 

また誰かが私の手を必要とした時に

作るよ。