メディアアート生活

美術館に作品を見に行かなくても、町中に作品は溢れている。話しかければその人の宇宙が始まる。

僕らがしているのは、戯れか進化か(2)

おっきい体で何をしようか。
と前回書いた。 

hisui0.hatenablog.com

 

私は、想像と創造、

イマジネーションとクリエイションによって、世界をつくること。

それが、おっきい体がすることだと思う。

 

『人は人間にしかできない、クリエイティブなことをしよう』

人工知能と対称的に人間の存在意義を語る時、よくこの文言を目にする。

でも「具体的にはどんなこと?」まで含めて語る記事は少ない。

 

クリエイティブ。それ以外の仕事はAIに取って代わられる。

この文言が、人間に対する危機意識と不安を喚起するのは、

「クリエイティブ」という言葉の意味するイメージが

掴みどころがないところに問題があると思うんだ。

 

クリエイティブっていうとどうしても

デザイナーとか、ものづくりする人とか、スティーブジョブスとか、

才能とか、ひらめき、アイディア、創作っていうイメージが強いように感じる。

 

たとえば、クリエイティブとマニュアル対応はつながりづらい。

そこに想像の余地がないように感じるからだ。

 

クリエイティブは、今ある機能や事実をそのまま受け止めるのではなく

自由な発想で、視点を変えたり、可能性を広げて、

何か新しいものが生まれそうなそんな期待をさせる言葉だ。

 

クリエイティブ、創造性。

それは、マニュアルや暗記では太刀打ちできない世界。

自由な発想、工夫、イメージ力。

 

そんなものでどう仕事になるのか、そんなもの自分に備わっているのか。

そのあたりの道筋がないから、不安になって、

『雇用がなくなる!!』も怖いし、

『むしろ人間しかできない仕事が増える!!』もなんじゃそれって怖くなる。

 

クリエイティブになるためには、

ただ人と出会って、人の話が聞けるようになればいいだけだと私は思うんだけど、

それを話すために、「これからの時代どんな人生をつくっていったらいいんだろう。」

っていう話から始めるね。

 

さて、どんな世界を創ろうか。

 

これを考える時、

個としての自分の視点と、

おっきい体である自分の視点と、
そこから外に出て、人間を材料として見る視点と、

その3種類の観点を自由に移動して、
世界をどう構築していくのか考えようと最近思っている。

 


個としての自分を考える。

個としての自分の優位性とは何か。

 

これは身体性だと思う。

一旦、人間を装置だと思ってみてみる。

5つの感覚器官から入力された情報を、
脳で処理して、

思考・感情・感覚・行動にフィードバックし、

現実画面を生成する。

 

パソコン環境で考えた時だと、
カメラ(5感覚)→PC(脳)→プロジェクター(5感覚)→映像
(その人の現実)

が身体の裏の顔。

自分と自分が見ている世界。

 

表の顔はこの肉体。触れるこの自分。

 

身体は不自由を楽しむためにある。
制限されることによって、ゲームはおもしろくなる。
ルールのないゲームはゲームとして成立しない。

 

ゲームとはなにか。
ゲームとは人生だ。

 

5感覚の認識範囲は有限。
脳は、部分だけを取り、違いだけを取り、過去とつなげ判断し、

有限化してものごとを認識する。

 

思ったことは全部実現するはずなのに、
思った瞬間実現しないのも、この制限のゲームを楽しむため。

 

実現のためには、「やる」ことが必要になる。
イメージの世界=現実世界ではなく、
行動することによって、表出することによって、
はじめて現実と言える。という制限があり、
そのために時間という舞台の奥行きと幅を楽しみ、
できてない今と、できている未来を点と点で結び、
時間を経過させて、変化成長を楽しむ。

この条件下で、

個の自分を最大限楽しむには、

どの部分の機能に着目したらいい?

 

わたしは出会いと感情の二つを優先させる。

 

体がなければ出会えない。
ネット上で、SNSで出会うのとはまた違う。物理的な接触、邂逅。

 

身体の情報量は計り知れない。

よくオーラとか波動とか見える人いるけど、

あいにく私はそういった能力については皆無でして、

それでも「雰囲気」ならわかる。


いるだけで、その人の在り方から発信される圧倒的な情報量。
人生かけて積み重ねてきたものの一断面、

「今」に結集された作品が目の前に現れる。

物質と物質として出会える。

これが身体の一つの楽しみ方。

 

そして、感情。

結局人間を動かしているのは感情や感覚。

 

なんとなく嫌。よくわからないけど好き。

そういった感情感覚に従って人は行動する。

 

そんなのには惑わされないぞって、切っちゃうこともできるけど、
情報を感情感覚で味わうことができるのが、身体の優位性だと思う

いわゆるエモいというやつ。

正の感情でも、負の感情でもいい。
そもそも+‐は人間が相対世界の中で生み出した概念であって、

絶対的なものではない。

 

負の感情は、存在危機を警告するサインという意味では、

よくないものと定義されているだけ。

 

存在の至上命令は、存在すること。
存在できない条件において、脳は全宇宙歴史の智慧の結晶として、

身体に注意喚起のための信号を送る。

 

この条件は危ないぞ、至急改善せよ。存在を続行せよと。

そういった賢い脳が指令する脳内物質の分泌が感覚であり感情。

 

そこまで、理解できれば、
感情感覚は、一種のエンターテイメントになる。

 

機能は最大限理解して活用したい派なので、
感情は+100と-100どちらも感じたい。

 

どうやって?

 

入り込めばいい。

目をそらさず、そっとスマートに蓋をせず、
あーーーー!!!悔しいんだけど。
やばーい!!楽しい!

こんな風に。

 

馬鹿みたい?

なんでバカっぽいんだろうね。

馬鹿ってなんだろうね。

そこを議論し始めると長くなるので
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ

 

止めてるから感じないんだよ。
ストッパー外して、それを身体で表現する習慣さえ付けちゃえば、
感じ切れる。

 

感情エネルギーは発生した時に出してしまえば、
その場で消化されるから、ため込むよりは健康にもいい。

 

氷は全て、熱を帯びて蒸発しました。状態。
氷だらけなのが、現代人。
そのままおいとくから、麻痺して感覚が正常に働かなくなる。

もっと感じよう。

 

総括すると、
出会って、感情感じる。

 

それが個の自分の有効活用方法。

 

そのためには、どうしたらいいか。

そこで必要なのが、「仕事」と「ストーリー&キャラクター設定」

そう思うんだよね。

 

→ 次回、どんな主人公となって人生を冒険するか。(3)に続く。

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僕らがしているのは、戯れか進化か(1)

www.fuze.dj

落合陽一さんの記事を読んで、想像したこと。

 

私は今『新たな生き方と仕事つくる時期』だと思っていて、

ずっと、そのことばかり考えている。

 

そことつなげた時に、色々面白い発想が出てきたのでシェア。

 

SNSネットワークは新たの身体の獲得

最近、自分のFacebook内での交流が変わってきた。

 

前は、Blog×twitterのような用途で、

個人の活動の様子や記事のリンクが羅列されているのを眺めて、

 

『おいしそうだな』、『楽しそうだな』→イイね!

 

といった思考回路で(説明が雑)使ってたんだけど、

 

思ったこと、気付いたことをアウトプットする人々の出現で

何かが変わり始めた。

 

 

自分の中で、そのムーブメントを創ったのはで、

そこから、ドミノ倒しみたいにFacebooktwitter的投稿が、

私のフィードに増えだした。

 

たまたま、私の交友関係の中では彼が目立って発信し始めたという現象であって、

元々、そういう投稿をしていた人はいたんだろうけど、

そのあたりから「気付きアウトプット型投稿」が増殖していった。

 

そして、次に起こったこと。

これも、たまたま今までの自分のフィードでは起きていなかっただけなんだけど、

やり取りするコメント数が増えだした。

 

以前は「素敵な投稿ありがとうございます」的な、

どこかよそ行きの言葉、

 

LINEというよりはメール。

 

のようなコメントの応酬だったのが、

突然、様相を変えて、

 

『まじか』

 

みたいな端的なものから、

 

『私はこんな風に思ってます』

といった会話が始まっていった。

 

 

まるで、道端で立ち話するかのように、

人々が言葉を交わしては、次の人に会いに行く。

そんな場ができていた。

 

これは、まさに、

スマートフォンは、たった10年で我々の生活習慣を変えてしまった。人はインターネット上に第二の言論・視聴覚空間を作り、住所を持ち、デジタル空間にもう一度生まれた。この地上で、誰もが発信者であり表現者となった。

の状況がここにあるな。

と思った。

第二の言論・視聴覚空間、此処にあり。

 

 

この時の記事でも書いたけど、

hisui0.hatenablog.com

私たちは確実に、現実空間と仮想空間両方を行ったり来たりしながら、

一日を過ごしている。

 

Facebook現象も最初は、

これは仮想空間における、城のない城下町のようで面白いぞ。

どこからともなく人が集まってきて、住み始めた!!

 

と、昨年末は「信長の野望・創造」をやりながら、

どうやったら『日本がひとつになるのか』を社長と、

馬鹿にみたいに真面目に研究していた私の脳は思っていた。

f:id:hisui0:20161230140018j:plainおかげさまで天下統一しました。

 

信長の野望に学ぶ、現代日本の創り方』はどこかで書くとして、

落合さんの記事を読んだ時に、これは城下町現象ではなくて、

"個人の能力拡張"であり、身体の拡張なのか。

と新しい見方が生まれた。

 

ひとまずAIレベルで考える

Facebook上でのやり取りを、第二の居住空間の賑わいではなく、

「身体の拡張」としてとらえる。

 

これは、人工知能のしくみに似ているなと思った。

 

人工知能を積んだロボットの「自分」の範囲は、

体にとどまらない。

 

HITACHIの汎用人工知能、Hくんの動画を見た時に、

衝撃的だったのは、この動画だと、0:55くらいのとこ。

www.youtube.com

USBケーブルをさしかえるとこ。

 

これ、昔の子供だったら、

「ロボットさん死んじゃったーーー!!!」

って泣くぜ!

と思うくらいびっくりした。

 

AI積んだロボット君にとって、

ロボットらしいあの体はただの殻で、

本体は、プログラムの方。

もっといえば、データとそこからパターンを抽出する能力が「自分」

 

ひとつの個体が、新しいこと覚えたらみんなで共有。

だれかの知識は瞬時にみんなのもの。

 

頭はプログラミングとデータの蓄積で、

体は全世界に点在している体のロボット君。

っていうイメージ。

 

今、Facebookで起きてることはこういう見方もできるんじゃないか。

 

ひとりの気づきは、みんなの気づき。

ひとりの事件は、みんなの事件。

 

通常だったら、人生1回、100年分くらいしかないけど、

フィード上で目にする、何百人もの人生上での気付きを共有できる。

これは、進化スピード加速するでしょ。

 

思考するのは、自分の脳、

体験経験して、気付くのは、ネットワークで繋がってるたくさんの人の脳。

 

これは、人工知能と同じ能力をひとまず手に入れてるってことになる。

もう、自分はこの身体の自分の経験を越えて、気付きを手に入れられる。

おっきい自分GET。

 

えー、人工知能君と同じレベル?

そう考えると、なんだかさみしくなるのが、

人間の対抗意識ってものだから、

そっから、その次を考えてみた。

さて、おっきくなった身体使ってなにしよっか。

 

次回、

『人は人間にしかできない、クリエイティブなことをして過ごせばいい、

 幸せを考えよう』はこわい言葉?

 

→(2へ続く)

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普通に悟ってますけど

悟ったり、人間越えたり、未来創ったり、考えが柔らかかったり

眠っていた能力が目覚めたりするのがOKな人に向けたこの日記。

 

最近、Facebookでが発信している何人かの内容を見て、
『日本ってすごいねぇ』と改めて思った。

 

だって、みんな自然に悟っていこうとしている。

 

自己啓発とか、メンタルケアとか飛び越えて、
日本人は、認識革命によって生まれかわろうとしている。

 

流石、大人でも電車でマンガを読み、アニメを見る国、日本。

本当に良かった。

 

『世界を救うために何を犠牲にするか』とか、

『眠っていた能力が目覚める』イメージなら任せろ。

 

我が国の教育水準を甘く見てはいけない。

 

過去のイメージによって、

今が作られていることを知って、
過去のイメージを手放して、
新しく世界をつくり直す試みだったり、

 

内側には、全てがあること。
無限の材料の中から、何を選択するかということ。

 

それをあたりまえ化しようとしている。

 

「悟る」って言葉を使うと、

ばーんって仏教とかお寺とか般若心境とか出てきがちだけれど、

 

要は、

 

①「無」を観たことがあるか。
②無と今この瞬間がどう関係あるのかわかること。
③宇宙って、人間ってどんな仕組みかわかること。

④自分が自分の人生つくってることをなんとなくじゃなくて、

 理論的にわかること。

 

このあたりを教育として通過したかしてないかだと思う。

 

私は、観術教育使って理解したので、
論理とイメージで段階的に学ぶプロセスは、
シャープで美しいし、汎用性あるから、

「0=∞=1」の認識方式がお気に入りだけど、
好きなルート使って悟ったらいいと思う。

みなさま、表現が多彩で美しい。

 

自分の腑に落ちるプロセスで。

悟りは手に入れちゃうと、本当に使える。

人生変わる。

 

自分の認識の結果が現実だから、
観点を変化させるだけで、現実が動く。

 

ってことと、

 

今自分が思ってる自分は、
部分であり、同時に全体でもある
全部が自分だ。

 

っていうことが腑に落ちれば、

 

今の人間の悩みループからは脱出できるし、
『自分らしい新しい生き方をさあ、考えよっか。』
っていう所には行けると思う。

 

日本は八百万の神のおはします国だから、
違うプロセスたどって、同じ境地にたどり着いても、
融合できると思うんだけど、甘いかしら?

 

『えっ!?何?君の学んできた内容だと、こういう風に表現するの?
 わっかりやすーい』

 

『自分の人生経験から、この感覚にたどり着いちゃったの?
 すごーい!!』

 

『みんなで、無いところから新しいもの作っていこうぜ!!
 新しい時代つくっていく出発は日本からだ!!』

 

って、上手くいかないかな。

 

「どっちのやり方が正しい」とか、

そういう話になるのだろうか。

「自分さえよければいい。あなたはあなたで頑張って。」
ってなったりするのだろうか。

 

そこは蓋を開けてみないとわからないか。
とりあえず今は楽観主義で居たい。

日本という国民性を信じたい。


このままだと、
本当はひとつの動きしかないことと、
この世界が、脳が作りだすバーチャルリアリティだってことは、
もう少ししたら、あたりまえになっちゃうだろうから、

 

早く、そうなった後の暮らし方の道を創らなきゃなと思った。

 

今日は『日本すごーい。これからに期待』という感想のみ。

 

 

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以下、すごーいと思ったきっかけの人々。

勝手にのせてすいません。

*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…

 

【1111】 幸せの完成度のレベルを高めるための4ステップ|加藤由迦のクリエイティブ宇宙論

 

『 世界観 』が『 未来の世界 』に近づけば近づくほどインスピレーションにもシンクロニシティにもどんどん乗っていける - シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

 

NRグループの未来パラダイム創造への挑戦 宇宙は「無い」という真実が当たり前になる時代へ - 観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

 

自動発動思考パターン - J humind association

 

【創造者としての目覚め】〜『自分探し』を終わらせるプログラム〜 - Libertyze (リバタイズ) 〜進化した自己啓発メソッド〜

 

「自分自神」を《20分》で見つける究極のワーク【コレが極秘テクニック!】「ワンセルフDIO」について - YouTube

 

どの人の表現も個性があって好き♡

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『そんな場所はありません。』

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行き先を聞いて、

『そんな場所はありません』って言われたらどうする?

 

旅先だったら?

宿に行くのあきらめる?

 

そっかー、ないかー、しかたないかー。

おーい、無いってよー^^

 

ってなる?

 

 

 

 

人生だったら?

 

 

 

 

 

 

 

貫けばいいんじゃない?

 

これだ。と思ったものを。

それが道になる。 

 

その道の上には、いろんな人がやってきて、

 

通り過ぎてく人もいれば、

 

ちょっとの間一緒にお散歩する人もいれば、

 

目的地に着くまで一緒に行こうっていう人も、

現れるから。

 

 

 

目的地が決まってるんだったら、
誰も追いかけなくていい。

 

 

それぞれが自分の人生のストーリーの主人公。

それぞれの道はまっすぐの道。

 


目的地がはっきりしない時は、
いろんな人の道を通りながらいっぱい景色をみるのもいい。

 

 

そのうち、誰も駅をつくってないところに、
行きたくなる時が来る。

 

 

『XXはどこですか』って聞いても、
そんな場所はどこにも無いと言われる。

 

 

 

 

 

誰も行き方を知らない。

 

 

誰もどこにあるかわからない。

 

 

 

 


そんな時は、

どこにも向かわなくていい。

 

 

 

 

 

 

 


ここに旗を立てよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ここがその場所だ。

 

 

 

 

 


ここからはじめる勇気はあるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

点から始めれば

あとは行きたい放題(・ω・)ノ

夜の過ごし方

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オレンジの薄明かりの下

かべもおふとんもわたしも
全部同じ色になっちゃって
電子機器とWi-Fiを全部OFFにして
しばし切り離された時間を楽しむ

心とお話をする時間
質問とこたえ。
ゆったりとくりかえす

究極にひとりで
究極にひとつの時間


今日もわたしのからだは
心がささやく声と繋がっていられただろうか

今日もわたしは
素直でいられただろうか

今日もわたしは
ていねいに人と出会えたかしら

今日わたしは
世界を更新できたかしら

問うと
こたえがくる

どこかからわきあがってきた
わたしがこたえだす

心の奥の方に
今はいないたくさんの人の想いが広がってる

思い込みでいいから
その声に耳を澄ませてみる

ただじっと
受け取ろうとするだけでいい

気のせいでいい

誰かがわたしに何かを伝えるなら
それをつかみたい

もしわたしが今ここで
思いを果たせず明日目が覚めなかったら

わたしの宇宙はそこで終わる




でも、想いは終わらない。

生きた間に発したことが。
表現したことが。
伝えたことが。
響かせたことが。
笑いあったことが。
心を動かしたことが。

この世界に保存される
受け継がれる

想いは死なない。
死なせないよ。

そうやって
見えない想いを伝え合って
今がある。 

わたしの心の奥には
その人たちの声がいる

誰だってそう。

その人たちもわたし
今のわたしを構成するもの

わけもなく泣けるのは、
通じ合っているから。

想いが通じた時って
嬉しいじゃない

伝わらないのって
さみしくて悔しいじゃない

思い込みでいい

わたしの中にはぜんぶがある
わたしはぜんぶだ

どうか応援をください
ひらめきをください
力をわけてください
あなたたちの想いもわたしに預けてください
一緒に動きましょう




生きてるわたしは明日も動きます。
からだがあるのはありがたいことで。

今、世界を動かせるのは、
生きてる人の特権。

こんなチャンスをくれてありがとう。
だから、思いっきりやるね

生きてるわたしは動きます。



対話が終わったら今日がほどける
無意識の海に放たれる

今日が終わる

明日はどんな世界を作ろうかしら。

そんなこと言葉にする間もなく
わたしがとける。





そんな夜が好き。

capitulo21 あたりまえを揺らせ

攻める人生の方が好きだ。

どうやったら世界を動かせる?すごく簡単なことだった。

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昔、バンドをやっていた頃、RFTSという曲をつくった。

Reach For The Starsの頭文字をとって、RFTS。

 

なんで"the"の頭文字まで取っちゃったのかは、

その頃の私に聞いてほしいのだけれども、

 

どうして星に手を伸ばすことが「高望みする」と訳されるんだ。

今ここに無い光を掴もうとして、

そちらの方向に誘われるように、今日を生きているのに。

ejje.weblio.jp

そんなふうに言われると、挑戦的な気持ちになる性分。

 

そうですか、高望みとおっしゃるのですね。

じゃあ、私がやってごらんにいれましょう。

あなたのイメージの中では「不可能」とおっしゃるのでしたら。

 

そんな思いがふつふつとわいてくる。

 

 

自分では「できない」って無意識に思ってたことを、

周りの誰かがやっちゃった時って、

「え、それやっていいの?」

って、ちょっとびっくりする。

 

そして、次の瞬間に、

自分もやってみよっかなっていう気持ちが出てくるんだ。

 

その時、何が起こってる?

 

そう、それが私のやりたいこと。

 

 

行こうか行くまいか悩んでたところに、

一目散に「うおりゃーー!ヘ(*゚∇゚)ノ」って突っ込んでいく奴がいたら、

なんかちょっと笑っちゃう。

 

そして、どうやらたいしたことないらしいぞとわかったら、

「なんで悩んでたんだろ」って、

安心してテクテクその道を進んでみようって思える。

 

 

 

あたりまえを揺らせ。

 

 

 

世界を動かすには、それしかない。

人の心が動けば、世界は変わる。

 

安心をつくるためには、先にその場所に突っ込んでいく人が必要。

「ほら、安全だったよ。」って言うためには、

安全かどうかわからないところに、まずは行ってみないと言えない。

 

私はそれをやりたい。

こんなに自由になれる世の中なのに、

まだ、人間は本当の可能性を生かしきれてない。

生き方、暮らし方、仕事、人生、家族。

色んなあたりまえにとらわれている。

もったいないことこの上ない。

 

最近思うんだ。

イメージできれば、実現できる。

使い古された、自己啓発本に載ってそうなこの言葉は、

そろそろ、みんなのあたりまえになる。

 

だって、認識するまで存在は存在しないんだよ。

量子力学だって言ってるじゃん。

自分の認識が作りだしたバーチャルリアリティの中に、

住んでるんだから、自分の認識が変われば、世界が変わるのはあたりまえ。

 

だから、どんどんイメージして、

高望みだって思われそうなこと、それやっていいの?ってこと、

実現しようと思う。

 

思いついたら掲げちゃえばいい。

それが、気に入ってることならば、人は出来ないことはない。

 

言ってから考えればいいじゃない。

どうやってやろっかなぁって。

 

そうしたら、身体はもうそっちの星の光る方向に動き出してるから、

後はそのまま歩いていけば、目的地にたどり着くよ。

 

元々、私は誰かがあくのそしきを始めないと、

人って変わらないなと思っていて、

hisui0.hatenablog.com

波風立てたい。

あなたのあたりまえに。

そんな存在になりたかったんだ。

 

きっと、待ってる人がいるから。

誰か波風たててくれないかなって。

無意識で、心はもっと暴れたがってる。

 

現状を脅かす存在が必要なんだ。

そうしないと、世界は動かないよ。

 

とりあえず2017年は、全都道府県にいってそこに住まう人と、

未来の生き方の話がしたい。そしてそれを仕事にする。

そう決めちゃった。

 

ザッカーバーグさんに乗っかってみた。

jp.techcrunch.com

 

さあ、準備しよう。

まだ、言うだけ言って何も考えてないからね。

 

それぐらいの軽さでいこうよ。

capitulo20  雑で、思いつきで、なにやってるかわかんない

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今までした事ないことをする時。

 

ざわざわする。
戸惑いもある。
迷いに持ってかれそうな時もある。

 

記憶力が、想像力が、
ありとあらゆる妄想を生み出して、囁こうとする。

 

「人にどう思われるか気にならない?」
「もっとしっかり考えてからやらないと」

 

でも、それ全部観点だってわかるから、
その気持ちも一緒に連れて行く勇気に昇華できる。

 

心は硬くしない。
何が起きても動じないなんて嫌だ。
大切にしたい人間的雑味。

この体というデバイスをもっている特権。

 

機械的に処理するなら、それは機械に任せたほうが効率いい。
些細なことで揺れ動く、この思いさえまるごと愛したい。

 

常に、揺れて揺れて揺れ動いている。

 

「えいやっ」て目を瞑って一歩踏み出さないと、
はじまりをはじめることさえできないこと、たくさんある。

 

でも、イメージだけしてて、胸に秘めていても世界は動かない。
行動して、発信することで、世界は少しずつ動き始めるんだ。

 

 


2017年は、表現して遊びきる年にすると決めた。

 

やりたかったこと、
ひとつずつ形にしたくて、
何からやって良いかわかんないけど、

動き始めることにした。

 

 

思えば、6年前から、やってること変わってない。

hisui0.hatenablog.com

 

新しいものと出会って、考えて、その結果を出力する。

自分は、そういうやり方で、ものを作っているみたいです

 


それが、きっと「人間が大嫌いで大好き」になるように、
創られてきた臆病な私の人生の使命なんだって自分で決めた。

 

『自分の人生を自分でデザインする人間になる。

 

 人間の仕事は、想像と創造。

 イマジネーションとクリエーション。


 人と出会って、イメージとイメージ交流させて、

 仲間と手を繋いで、
 新しいイメージ・未来を創っていくこと。』

 

そんな、新しい人類の生き方のモデルを創るんだ!って、
こんな面白い時代に生まれたんだから。
そこにエネルギー投じたい。

 

「0=∞=1」の認識方式を手に入れて、
人間として、今までやったことない生き方できる技術もらったのに、
あたりまえに閉じ込められて生きてるんだったら、
もったいないじゃない。

 

AI、シンギュラリティ、高齢化、社会情勢。
今を分析することは、専門家の皆様にお任せして、

 

『じゃあ、どうするの?』

って、人類の方向性をつくっちゃいたい。

 

 

<雑で、思いつきで、なにやってるかわかんない>

 

イメージしたことないことは、

今までのあたりまえじゃないことは、

最初は、そっからはじまるんだ。

 

アクションした分だけ、リアクションは返ってくる。

 

よくわからない、奇行と呼んでもいい

私の呼びかけに、反応を下さったり、

もっとこうしてみたら?と知恵を分けてくださる皆様。

感謝に堪えません。

 

本当にありがとうございます。

生きててよかった。

 

皆さまのエネルギーもいただいて、

しばらく暴れます。

 

世界中にこんなやつ一人くらいいても良いじゃない?

世界中こんなやつだらけでも面白そうじゃない?

 

イメージできたら、

それは実現できる。

 

まずは、誰かに話すところからはじめればいい。

 

表現した分だけ、世界は動くから。

 

 

 

嗚呼、

ざわざわする。

 

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